研究と報告№147「座談会 日本学術会議の存在意義を考える」岡田正則(早稲田大学教授)・広渡清吾(東京大学名誉教授)・榊原秀訓(南山大学教授)
自治労連・地方自治問題研究機構(以下、研究機構)は2025年12月21日(日)午後に「座談会 日本学術会議の存在意義を考える」と題して座談会を開催しました。
2020年に菅政権が日本学術会議会員の任命拒否をして以降、国による「自治」への介入が学術の分野でも大きく進められてきました。2025年6月11日には「日本学術会議法人化法案」(解体法)が自民党などの賛成多数により可決成立されましたが、これは学術会議を「国の特別の機関」から特別法人に変容させると同時に、国による人事や研究内容への介入を強化するものです。
座談会は、こうした情勢に鑑みて、研究機構として日本学術会議第21期会長を務めた広渡清吾氏(東京大学名誉教授)、研究機構運営委員で2020年に起きた学術会議推薦会員の菅政権による任命拒否の対象者となった岡田正則氏(早稲田大学教授)、研究機構の代表運営員の榊原秀訓氏(南山大学教授)をパネリストに招き、解体法に至るまでの過程や、その問題、学術会議の社会的な役割などについて報告、討論を行ったものです。
本稿は座談会の議論を文字起こしし、登壇者による加筆修正をおこないました。高市自維政権の下、「戦争する国」に向けて学術の国家への従属が一層強化される懸念が高まっていますが、本稿を「自治」や「学問の自由」といった理念について考え、展望を模索する人々にお届けします。
座談会 日本学術会議の存在意義を考える
2025年12月21日開催
【登壇者】(敬称略)※報告順
パネリスト: 岡田正則(早稲田大学教授)
広渡清吾(東京大学名誉教授)
榊原秀訓(南山大学教授)司会兼任
コメンテーター:本多滝夫(龍谷大学教授)
はじめに
司会・パネリスト:榊原秀訓(さかきばら ひでのり)(南山大学教授)
ただ今から「座談会 日本学術会議の存在意義を考える」を始めます。南山大学の榊原秀訓です。本来、今日の司会は龍谷大学の本多滝夫さんにお願いしましたが、インフルエンザにかかり、この場に来ることができないということで、オンラインで参加をしていただいております。この場にいないとなかなか司会は難しいでしょうし、インフルエンザになったばかりで、ひょっとしたら今日時間が経つと熱が上がるとか、そういった可能性もあるものですから、急遽わたしが司会を交代いたしました。
パネリストは報告順でいきますと、早稲田大学の岡田正則さん、東京大学名誉教授の広渡清吾さん、それからわたし、南山大学の榊原という順番になりますので、よろしくお願いいたします。
実は司会として本多さんが進行のシナリオを作られておりましたので、その一部をわたしの方で利用をさせていただきます。
日本学術会議は戦後いわゆるナショナルアカデミーとして日本の科学者を代表する独立性が保障された国の機関として政府に対して科学的助言を行ってまいりました。
ところが人事の独立性が崩され、そこから問題がスタートいたしました。人事の独立性が崩されたというのは、2020年10月に公になった学術会議第25期会員推薦候補のうち6人が任命拒否された事件を指しています。この事件を契機に、まるで待ち構えていたかのように政府や与党自由民主党から学術会議の組織改編を求める提案が示され、紆余曲折の末、今年(2025年)6月に学術会議を国の機関から特殊法人に改編する法律が成立しました。今日の座談会は、このことをメインテーマとしております。
自治労連・地方自治問題研究機構(以下、研究機構)の運営委員である明治大学名誉教授の黒田兼一さんから「この研究機構においても日本学術会議の問題を考えた方がいい」という意見を受け、このような座談会を持つということになりました。黒田さんは今日、ご都合があって出席することができなかったのですが、その代わりとしてメッセージをいただいております。
黒田さんは「大学フォーラム」や「日本学術会議『特殊法人化』法案に反対する学者・市民の会」のメンバーとして活躍されてきました。黒田さんのメッセージは、最後に載せております。時間の関係もありますので全文は読めませんが、最後の部分だけ紹介させていただきます。個人的な経験などがはじめの方に書かれておりますが、日本学術会議の法人化の狙いに関わって、「法人化が決定された途端に防衛装備庁の『安全保障技術推進制度』(研究助成金支給制度)に応募する大学が急増」し、そして、「文科省の研究補助金が大幅に削減されている中で、この防衛装備庁の研究費は『背に腹は変えられない』のかもしれ」ないと、大学の問題を指摘されています。「学術会議法人化が強行され、歯止めが消失してしまったかのようです。軍事拡大への現政権の前のめりの姿勢もあって、いよいよ学術研究を丸ごと軍事研究へと進んでいってしまいそうで心配です」とも述べています。現状に関わって、新法に基づく法人化された学術会議の「正式な発足は来年(2026年)秋です。それまでの間、しばらくは、学術会議が国民から理解され信頼される存在になるための努力は可能です。現学術会議の会員の今少しの努力を期待し、またその外側にいるわたしたちも関心を持ちながら見守り、必要な支援を強めたいと思います」。このようなメッセージですが、お目通しいただければと思います。
ごく簡単にパネリストのご紹介をいたします。まず、早稲田大学教授の岡田正則さんです。岡田さんは任命拒否の当事者のお一人でした。そして、単なる告発をするということではなく、行政法研究者として、任命拒否の法的問題についてこの間ずっと発言をされてきております。続きまして東京大学名誉教授の広渡清吾さんですが、日本学術会議の会長(第16代、2011年7月~9月)を務められておりました。任命拒否以降、学術会議の改革動向に他の元会長らとともに懸念、反対の声明を発出されてきております。最後に、わたしは、研究機構の代表委員として今回の座談会に関わっており、「地方自治を扱うべき」ということで、少しだけ報告をさせていただきます。今日はまず3人で報告をし、相互に質疑応答します。
また、本多さんには、コメンテーターに役割を変えて、質問をしていただきます。最後に、時間的余裕があれば、会場の参加者を中心に質疑応答を行いたいと思っています。それでは、最初の報告を岡田さんにお願いします。
日本学術会議の存在意義と地方自治
パネリスト:岡田正則(おかだ まさのり)(早稲田大学教授)
ご紹介いただきました早稲田大学の岡田です。専攻は行政法です。
最初に、任命拒否の「当事者」と紹介されたのですが、当事者は日本学術会議であり、日本の科学者全体です。個々の拒否された人が「当事者」ということになると、なんだか個人の事件みたいで「かわいそうな人たちだから応援しなきゃいけない」というように誤解されてしまう。そうではなくて、問題はまさしく「日本の学術全体が攻撃されている」――それが問題の本質でして、法人化もそのような問題として捉えなければいけません。
まず、わたしたちにとって日本学術会議の法人化とはいかなる問題かということですが、現行法は来年(2026年)の9月末まで効力がありまして、現在は新法附則の移行規定の一部が施行されており、来年10月から全面施行ということになります。
それでは、この新法の何が問題なのでしょうか。1つめの問題は、「人類社会」の福祉という視点から、「国民」の福祉という視点に学術を持っていこうということです。現行法が立脚している国際主義、平和主義、これを否定するということです。2つめが、科学者の総意という日本の科学者の立脚点を否定して、あたかもなにか業界団体のようにしてしまうということです。これは、ボトムアップで日本の学術を作っていくっていう民主性を否定するという役割が新法にはあるだろうということです。そして、3つめは、国の機関からの排除という問題です。ナショナルアカデミーには、国の組織構成の中で、中央政府の政策面、あるいは学術に対する権力行使をコントロールする、抑制するという役目があり、だからこそ現行法は日本学術会議を国の機関として設置したのです。政府・内閣から独立して対等な関係の国家機関だからこそ、学術会議は政府にきちんと言うべきことを言い、政府も言うこと聞かなければいけないという関係になっている。このような関係から、政府監督下の特殊法人にしようとするというのが今回の法人化の3つめの問題点ということです。
次に、わたしたちにとって学術、学問の自由、学術会議とは何かということですが、「一部の業界の話でしょ」、あるいは「生成AIの方が賢くて親切で、専門家とかいう人たちの偉い話なんてもう必要ないんだ」、このように考えられる方もいるかもしれません。しかし、学術というのは、過去の知を集積した場であり、人類全体および将来の人々の視点が現れる場だと、このように位置づけなければいけないと思います。議会制民主主義というのはやはり欠陥のある制度で、今ここにいる人たちが多数決で「賛成」というと、それで決まってしまう。そうではなくて、やはり学術を担う人たちが、将来の視点や、あるいは人類世界の視点から色々と考えていくということが、学術が社会の基本的なインフラだと考えられる理由です。そのためには、学術でやって良いことと悪いことを判別する必要があります。そのための専門家が集まる仕組みが学術会議なのです。学問の自由は、このような学術会議という組織があって初めて成り立つものです。
そして、学術、学問の自由、学術会議と地方自治には、似ている面と違っている面があると思います。似ているのは、中央権力をコントロールするための団体自治とか、あるいはそこでの役割を果たすための自立が必要だというようなことです。
他方で、大学の自治、あるいは学問の自治は、「構成員自治」であり、いわゆる「機能的自治」と呼ばれます。これに対して、地方自治の場合には「居住者自治」「領域的自治」と呼ばれるものです。なぜこうなったかは最後の方で改めてお話ししますが、差し当たりこのように似ている面と違う面があるということです。
そこで本報告の目的は、①日本学術会議の存在意義と会員任命拒否問題から新法の位置を考察する、②現行法と新法を対比した上で、新法の問題点を確認する、③市民社会に対する専門家集団・自治団体の自律と責任を捉え直すという、3つの事柄になります。
(1)学術会議の設立後から会員任命拒否問題に至るまでの推移
目的の①に関わって、「学術会議会員の任命拒否問題と新学術会議法」に進みます。学術会議を国の機関としたことの意味は、くりかえしになりますが、科学者の総意を結集して、政府に対してきちんと権限行使をすることができるという位置づけを与えたということにあります。現在、これと並ぶ車の両輪と言われている組織として、内閣の下に「科学技術・総合イノベーション会議」がありますが、これは長が内閣総理大臣で、トップダウン型で政策を決めて実施する。これに対して、ボトムアップ型で、全国の研究者の総意を結集する――そういう組織が学術会議だと言われていきました。これが政府にとって目障りだということで壊してしまおうというのが今回の法案ではないか、と考えられます。
学術会議の設立後から会員任命拒否問題に至るまでの推移は、年表(表1参照)に書いてある通りですが、注目点は3つあります。1つは3回の声明です。1950年、1967年、そして2017年に声明が出されています。これらは、日本の学術が軍事に引っ張られることを牽制し、冷静に考えようと呼びかける、という声明でした。
表 1日本学術会議の設立から会員任命拒否問題・法人化法(新法)に至る経緯(※クリックすると拡大されます。以下同じ)
(出典)報告者が作成
2つめの注目点は、選出方法が変わった1983年、2004年です。1983年の変更は選挙制から学会推薦制へ、2004年の変更はそこから現在のコ・オプテーション(自己推薦:co-optation)方式への変更です。これは、会員が次の会員を選ぶという、会員選考における自立を保持する方式です。今回の新法では、この方式が一応は保持されていますが、かなり政府が介入できるような仕組みが取り入れられています。
3つめが、2015年以降の政府の介入、そして2020年の会員任命拒否問題です。これが法人化法につながっています。この法人化法に至る経緯についても年表にある通りですが、一旦、2022年12月から翌2023年4月の段階で政府は法案を出そうとしてこれを断念した。そして、今年(2025年)の6月に、新法を可決、成立させました。
なぜ法人化が必要かということの論拠ですが、法案作成に至る過程の審議会などでの議論では、1つは、独立の立場と政府の機関であることとは矛盾する――つまり、「国の機関である限り任命拒否問題が起こることは避けがたいので独立の法人にする」ということなのですが、そうであれば、内閣総理大臣も天皇に任命されるし、裁判官も天皇やあるいは内閣総理大臣から任命されるのですから、任命拒否問題は当然起こりうるわけで、そうなると内閣も裁判所も独立の法人にしろ、という理屈になってしまいます。ですから、実は全く成り立たない論拠なのです。そこにいう「独立」の意味はまた後で述べます。
次に、法令等の厳格な制約から外れて十分な機能を発揮するためなのだと政府は言います。これによって活動が強化され、財政基盤が多様化して事務局体制も充実するのではないか、などと言っているのですが、法令等の厳格な制約を課せられているのは実は政府の側であって、新法の狙いは、政府の側をそういう制約から解放し、学術会議をその監督下に置くことにあるということです。しかも、財政基盤とか事務局体制については全く保障がない状態です。
3つめの理由が、会員が仲間内だけで選ばれる組織だと思われないようにするためだと政府は言います。こういうことで、「国民が納得できるメンバー」とか「国民に説明できる選考方法」とか、こうしたことを言っているわけですが、「一体これ(学術会議が選考してきたメンバー)は納得できないメンバーだったのか? 特に、任命拒否された6人は、では納得できないメンバーだったのですか?」と、こうツッコミを入れたいですし、「6人を拒否したその選考方法って国民に説明できているのですか? 説明していないのは政府の方でしょ?」と、このようにツッコミたいところです。
このように、全く法人化の理由は根拠がないとわたしには思われます。さて、次は、「学術会議の独立性・自律性の意味」です。現行法3条が、学術会議の政府からの独立を規定しているのは、国からの独立ということではなくて、監督機関としての内閣や、あるいは主務大臣の監督から独立するということ。これが現行法の重要な「独立」という定めの意味です。だからこそ裁判官の独立とか会計検査院の独立ということが国の機関であっても定められ、必要だということでして、新法においては、全く曲解した意味での「独立」となっている。だから、むしろ新法によって監督下に置かれるので独立性が剥奪される、これが問題です。この法案の作成を担当したのは内閣府室長が笹川武さんという方で、現在、内閣の官房長になっている方ですが、笹川さんは「独立した以上は独立性を議論する法的な意味はありません」と言うのです。しかし、これはまさしく独立の意味を曲解しており、独立行政法人のように学術会議を国の外に出せば独立かというと、全くそうではない。学問の自由を支えるために国の監督を外して、科学者全体の総意をきちんと結集できるようにするのがこの独立の意味なのに、それを全く踏みにじって除去してしまうのが新法なのです。
そこで学術会議の自律性は必要かということですが、この点は今までのお話からお分かりいただけると思います。それから「デュアルユース」ということにも触れておきます。あらゆる科学技術というのはデュアルユースになりうるわけですが、だからこそ将来の世代の人々や人類社会の観点から、学問が果たすべき役割として、軍事的な使用の危険性を点検しなければなりません。この役割を果たすために、学術会議は、独立した組織として日本の科学者の総意を結集する必要があるのです。
(2)現行法と新法の概要とそのポイント
現行法と新法の概要とそのポイントは、一覧表をご覧下さい(表2参照)。内容についてはこの後、広渡先生もお話しされると思いますので、わたしは会員選考のところだけ少しお話をいたします。
表 2現行法と新法の新旧対照表
(出典)隠岐さや香「イノベーション政策の軍事化と学術会議問題」『思想』1216号(2025年)92-93頁の「表2」を補訂して報告者が作成
現在、学術会議自身が、日本の学会やそれ以外の色々な人たちから次期会員の推薦を受け取るということをやり、その中から1000人ぐらいに絞り、さらに105人に絞っていく――こういう作業を1年近くかけてやるわけです。それが「仲間内の選考になっているのではないか?」と言われ、法人化法になったところですが、決してそうではないし、選び方も皆さんに開かれているわけですが、今回の新法によって、次期とその次の会員選考において政府が関与できるような委員会組織を設置することとなりました。その上で、移行過程を経て2029年に完全に会員が入れ替わるわけですが、その後も「選定助言委員会」を通じて関与があるといった問題点があります。
次に、目的の②に関わる問題点の概観をみます(表3参照)。考え方としては「ナショナルアカデミー5要件[1]」が新法では否定される、侵害される、という面が大きいので、今後わたしたちは、この「ナショナルアカデミー5要件」をできる限り充足するように、政令やあるいは内閣府令、それから学術会議会則で具体化していく必要があります。そこで方針になるのは、法人化や運営については、特に運営に対する介入をなくすことです。それから連携会員の規定が法律から消えてしまいましたので、2000人の学術会議を支える連携会員の規定を置く必要があります。この辺が重要ですし、また財源の問題についてもきちんと保障するような定めが必要です。移行過程で――これは現在進行中なのですが――20人の次期会員の選考委員が選ばれて、これから作業を進めることになっています。
表 3ナショナルアカデミー5要件に照らしての新法の問題
(出典)報告者が作成
(3)日本学術会議の存在意義と地方自治
そして、目的の③に関わって、「日本学術会議の存在意義と地方自治」ですが、団体自治、自律を基礎とする点は同じだけれども、他方で機能的自治と領域的自治という違いがあります。そこで地方自治体も近代国家以前は、人に土地が付いてくるという意味で構成員自治の組織だったのですが、近代国民国家ができる過程で商品交換の空間を管理する組織として国家に組み込まれ、商品交換のルールがきちんと実行されているかいうことの管理のために領域自治に転換しました。だから地方自治体はメンバーを選べないのです。来る人は拒んではいけないということですから。人の移動や公的サービス利用の実情を含めて、自治のあり方を今後考えなければいけない。そのうえで、機能的自治と領域的自治との相互関係ですが、学問の自由は市民社会の中で知的再生産の基礎になり、地方自治体というのは人的再生産――生活の面、政治経済の面の基礎になる。そうすると、両者はやはり専門的知見を必要としますので、地域社会で自治体と大学あるいは学術関係者が協力することが必要となりますし、また自治の担い手を育てるということも共通の課題だと思います。それから、現局面では、安保関連法制のもとで学術と地方自治体が動員される、という点でも課題が共通していると思います。昨年6月に「補充的指示権」の規定が地方自治法改正で導入されました。この規定では大規模災害とか感染症対策が例示されていますけれども、実際には、軍事的な背景を指摘せざるをえないと思います。
最後に展望です。①新学術会議の廃止をめざす、②新学術会議を無視する、③新学術会議を“社会”の共有財産にするという3つの選択肢のうち、わたしたちが選ぶべきは、3つめです。新学術会議を見放すのではなくて、社会の共有財産にすべきだということです。そのためには、第1に、監督する政府の側を変えて、学術を尊重、振興するような政府に変える。第2に、新学術会議がナショナルアカデミー5要件を充足できるように規定を整備する。第3に、学術の意義を広く知らせることです。ネット社会の中でも、その意義をきちんとみんなが理解して尊重するようにしなければなりません。第4に、専門家団体と市民社会の関係を活性化させる。その意味で、地方自治体も、その媒介として、力を発揮する必要があるということです。
議論①
榊原秀訓
時間を守っていただきありがとうございます。「当事者」という言い方は、はじめチラシに書いて「それはよろしくない」と指摘を受けたので削ったのですが、ここで復活してしまいました。申し訳ありませんでした。また発言は時間の関係でだいぶ端折っていただいたのですが、この後の討論のところで補足的にご意見をいただければと思います。本多さんにつきましては少し役割を変えていただいて、コメンテーターとして、はじめにご意見・ご質問をいただく形で参加をいただくことになっております。まず本多さんからお願いいたします。
コメンテーター:本多滝夫(ほんだ たきお)(龍谷大学教授)
みなさん、こんにちは。本来、わたしはコーディネーターで司会をやらなければいけないのですが、先ほどの事情からコメンテーターという役割で参加させていただいています。今、岡田さんから色々な側面からご報告を受けたのですが、やはり今回の学術会議の法人化というのは任命拒否が契機になったと言わざるをえないと思います。当初、任命拒否の狙いは、総理大臣の任命権の実質化、すなわち今まで学術会議が次期の会員の推薦名簿を出したらそのままそれを会員として任命するという仕組みについて、総理大臣が、その中身を左右できるようにしたいというところにあると見られていました。またそれに対する批判は、憲法論も踏まえて、そこに集中していました。しかし、経緯を今振り返ってみますと、実は最初から特殊法人化が射程に置かれていたのではないか、変な言い方ですが、任命拒否は学術会議「改革」について議論を喚起するための戦術のようなものだったのではないかというふうに思えてなりません。その点は、岡田さん、どのように思われますか?
岡田正則
どうもありがとうございました。最初から任命拒否問題を梃子に法人化へというところまでは考えていなかったのではないかと思われますが、現在から考えると2015年の安保関連法制を進める中で学術会議がこのブレーキ役になるため、政府の特に軍事的な戦略にとってどうも除去しなければいけない、そういう要素だという問題意識を持っていたと思います。
この時期から補充人事で学術会議の会員任命について介入するようになり、どうも安倍内閣がそれまでやっていたような独立性を有する機関の人事に介入して、政府にとって好ましい人物に首をすげ替える、こうしたやり方が学術会議には通用しない。そこで、1つの荒業として任命拒否に出たということですが、もうそういうことやらざるをえないと腹をくくった段階で、おそらく組織そのものを政府の監督下に置いていうことをきかせようという方向を取ろうと――こうした経緯ではないかと思います。
榊原秀訓
ありがとうございます。広渡さん、何かありますか。
パネリスト:広渡清吾(ひろわたり せいご)(東京大学名誉教授)
任命拒否から法改正まで、どういう論理で政府が物事を進めてきたかということなのですが、今から振り返ると、やはり任命拒否というのは、政治的に介入して学術会議のあり方を変えるというところまで問題が進むような形で始まったのではないか思います。第2次安倍政権が出発した時に――わたしはその前の民主党政権の時の最後の会長だったわけですが――、「学術会議の会員任命についても官邸は実質的に考える」、「首相に任命権がある限り任命権は形式的なものではありえない」という感触は伝わってきていました。実際に任命拒否が起こった時には「やっぱり来たか」いう感じでわたしは受けとめました。
ただし、任命拒否だけで物事が済むわけではなかった。というのは、社会から批判がすごく大きかったわけです。橋下徹さんも、これは問題のすり替えだと言いました。「ちゃんと任命拒否は任命拒否問題で政府は説明すべきだ」――これが世論だったと思います。この世論に対して当時の首相は「学術会議は改革が必要なんだ」、「10億円も使っている」、「10億円も」という額がどうかはともかくとして、そういうことを言って改革問題にすり替えました。改革が始まって最初の政府の提案は、「法人化については、学術会議の抵抗も非常に強いので、国の機関として維持するが、業務について計画制度を入れる」ということと、「会員選考について選定諮問委員会という外部者の委員会を作る」という提案をしてきたわけです。これについては梶田隆章さんが会長の時の執行部が断固として跳ね返し、そして跳ね返したと思ったら本格的に特殊法人化の法改革の議論が始まったということになります。
以上のように、どこまで整合的に出口を計算しながら政府が進めてきたかということは分かりません。しかし、政治的に介入して学術会議をなんとかするという考えは最初からあったのではないかとわたしは思います。
榊原秀訓
はい、ありがとうございます。
本多滝夫
よろしいですか。回答ありがとうございます。最初はそのような意図ではなかったのかもしれないという趣旨ですが、蓋を開けてみると、今回報告の中で紹介もあった附則の中で移行期における会員選定については、コ・オプテーション方式とは異質なものを採用するということをはっきりと述べている。学術会議を置き換えてしまう、変な言い方ですが乗っ取ってしまうというようなドラスティックな方向性が出され、それが今回やられようとしています。これは「改革」議論の進展の中でそのようになったということなのでしょうか? それとも、実はここまで射程に置いていたということなのでしょうか?
岡田正則
わたしから簡単に。広渡先生からもお話があるかもしれません。おそらく未定の部分が結構あると思うのです。この間の対応を見ていますと、学術会議側に一応ボールを預けて、それで移行期の人選、あるいは新法人への準備をさせようということなのです。ですから、日本の学術のあり方が完全に政府に支配される、ということではなくて、やはり政府としても学術を担う人がいなければ組織を動かせませんので、学術というのは政府が命令すればその通りに動くわけではない、その意味で、学術を担う人たちがきちんと動かなければいけないわけです。それゆえ、今後、来年(2026年)10月までに、政令・内閣府令・学術会議規則を具体化するとか、あるいは会員選考についての手続きを透明化させるとか、そういった作業においてナショナルアカデミー5要件をできる限り充足する方向に持っていくことは可能なのです。今の段階で「政府が乗っとった」「けしからん」ということよりも、その辺りで実質的に動く方が大事であると、わたしは考えています。広渡先生、いかがでしょうか。
広渡清吾
今回はコ・オプテーション、つまり現役会員が次の会員を選ぶというやり方を取らずに特別の選考委員を選ぶ。この特別選考委員は、学術会議会長が、日本学士院長の佐々木毅さんとCSTI(総合科学技術イノベーション会議:Council for Science, Technology and Innovation)の常勤議員の宮園浩平さん――この2人と協議をして決めるということになっており、選考委員の任命権は学術会議の会長にあります。
この方式は1983年の法改正の時と同じです。1983年、法改正をして、会員を全部入れ替えなくてはいけないとなりました。従前の会員は学協会が会員候補者を推薦するというやり方を採っており、改正後はコ・オプテーションを採ると制度が改正されたので、学協会が推薦するやり方はできない。そこで、最初はどうするかということで、特別に選考委員会を学術会議の会長が2人の有識者と相談して決めるやり方にしました。1983年の法改正がモデルなのです。83年の時にはほかに方法はなかったのです。しかし、今回はコ・オプテーションを制度改正後も継続するという。とすれば、なぜ、この交代の時にだけ特別の選考委員を作るんだという批判は当然ありえた。そういう批判をわたしたちはしたわけですが、附則がこの問題については規定しました。附則によれば、特別選考委員会が候補者を選ぶ、その候補者を現在の学術会議の幹事会で承認して総会に提案する。そのうえで、総会が承認して、そしてこの総会が承認した候補者を学術会議会長が首相に推薦するとなっています。これに基づき首相が指名をして、来年の10月1日の新学会発足の時に会員になる。これが附則の規定するところです。それゆえ、学術会議が「こういうのは嫌だ」と考え、「首相に推薦する候補者をわたしたちは認めない」と言えば止まることになっている。「これは一体どういう意味なのだろう?」と色々考えました。菅義偉さん、岸田文雄さん、石破茂さんでもう3人目ですから、「もしあなた(首相)がこれ以上学術会議に介入するという態度をとるとすれば、もう協力できません」という可能性が附則によって作られている。6人の元会長の法成立後の声明はこのことを指摘し、学術会議は強い立場で石破さんと議論をして、これ以上政府は学術会議に口を出すなと主張しろと言ったのです。結局どうなったかというと、附則は学術会議からの候補者推薦に応じて首相に指名権を与えていますが、これを設立委員のうち学識経験者に委任するという規定を設けていました[2]。そして、石破首相は、この指名権を現在の学術会議会長に委任したのです。
このように次期の学術会議会員は特別の選考委員会で候補者を選びますが、その候補者を承認し、指名する手続きの全体は現学術会議に全部任されることになりました。これをどう評価するかは1つのポイントですが、わたしは、石破内閣のもとで政府と学術会議の間で休戦状況が生じたと理解できるのではないかと考えています。ただし、これは石破首相との休戦ですから、高市内閣でどうなるかはまだわかりません。
榊原秀訓
ありがとうございました。最後にわたしの方から岡田さんに質問です。この任命に関わって、政府が説明責任を果たさないということもあって、訴訟を提起されていますよね。わたしも情報公開訴訟では、原告の1人になっているのですが、この現状を簡単に報告していただければと思います。よろしくお願いします。
岡田正則
はい。学術会議会員の任命拒否については、その拒否理由がわからない。この点については、当時の国民の7割以上が「政府はこれについてちゃんと説明しろ」という意見であり、強い世論だったと思います。それで、法律家1162人が、内閣府と内閣官房に対して情報公開請求を行うとともに、任命拒否対象者の6名も自己情報開示の請求をしました。
最初に出てきたのは、政府が国会に出した黒塗りの文書と、他は「文書不存在」という回答でした。このため審査請求をして、黒塗りの一部が確かに開示されたのです。「副長官から」という文書にはやはり6人の名前や所属が書かれていました。しかし、ほとんどの文章は結局黒塗りのままで「不存在」だということですから、昨年(2024年)2月にこの不開示決定の取消訴訟を提起して、現在までに8回の口頭弁論がやられています。次回は、12月23日に第9回の弁論があり、東京地裁の103号法廷という1番大きい100人ぐらいの法廷で行われる予定です。そして、今何をやっているかということですが、まずその黒塗り部分について審査請求後に分かったのは、実は2020年6月12日の時点で(つまり学術会議が推薦の名簿を決める前の段階で)、内閣府あるいは内閣官房側から「学術会議の名簿を差し替えろ」という指示がされていたということです。ですから、6月の段階で、拒否対象とする6名をピックアップしていたということなのです。しかし、一体何に基づいてこの6人をピックアップしたのか。この点に関する文書は、9月――任命拒否が明らかになったのは10月1日ですが――の任命拒否直前の段階までを含めて不存在だというのです。これでは、杉田和博副長官(当時)は何の資料もなく、どうやって選んだのか全く理解不能な話です。
それから、菅(元首相)の一存で決めたというのが被告側の説明なのですが、仮に一存で決めるにしても、公文書管理法上、それについての文書は、あるいは決定を説明するための文書はきちんと作成しなければなりませんし、取得文書は保存しなければなりません。したがって、それが不存在ということになると、「あなた方は違法な行為をやっているということなのですよ?」「いいのですか?」ということを問わなければならない。あるいは、一存で決めたというのであれば、その経緯については、やはり菅さん、杉田さんに法廷に来てもらってきちんと説明してもらわなければなりません。みなさんもご存知のとおり、森友学園事件の文書のようにこの公文書が隠蔽されている可能性は極めて高いわけです。
森友学園事件について裁判所が、財務省からどういう改ざんの指示があったのかということに関する不開示決定を取り消したのですが、そうしたら文書が大量に出てきたわけです。おそらく、組織共用文書とはされない「私文書」のハードディスクの中にそうした文書もメールも隠しておく――そういうことがあるのではないかという疑いがあり、それをこれから洗い出そうというのが現在の局面です。
榊原秀訓
どうもありがとうございました。色々本当に問題点があるなと感じたのですが、時間の関係もあるので次に行かせていただきます。続きまして新しい日本学術会議の法的な問題点や展望といった点について、広渡さんよろしくお願いいたします。
2025年日本学術会議法の問題点とこれからの日本学術会議
広渡清吾
岡田さんから基本的なことを述べていただきましたので、それを受けて、幾つかお話をしたいと思います。
(1)2025年法の基本的過誤
今回の――「2025年法」と言うことにしますが、新しい日本学術会議法について基本的過誤、つまり――これは本当に間違っている、おかしいという点を3点だけ書いておきました。1つは、一国の科学アカデミーを首相が作った評価委員会が評価をするという点。これは欧米諸国のどこを探しても多分ないと思うのです。これは誰が考えてもおかしい。
これから学術会議の会長が国際的なアカデミーの会合に出かけた時にどのように説明すればいいのか、どうなったのですかと聞かれた時にどのように説明すればいいのか、そういうものを作ってしまった。
1948年の日本学術会議法は、一言でいうと、日本学術会議のミッションは何であるか、それに対してどういう法的地位を与えるか、どういう権限を与えるかといったことを規定しています。これに対して新法は、内閣総理大臣が日本学術会議を監督する法になったということです。それから1番大きな歴史的な問題は前文の全面削除です。前文は、日本学術会議というのはどうしてできたのか、何のためにできたのかという、とても大切なことが書かれている。ところが、これはもう必要がないとされてしまった。「ちゃんと2025年法の規定には書き入れました」と政府から説明がありましたが、日本学術会議の歴史的意義を抹殺したとは言いませんが、これを省みない立法を行ったと思います。
(2)学術会議管理法のシステム
政府が学術会議をどのように管理するようにしたかということは岡田さんが述べられました。先ほど申し上げた通り、内閣府の首相任命の評価委員会を置くというのは、国際的に説明できないと思います。計画制度がどの程度きつく入ってくるか、これは今後のこととして申し上げなきゃいけないことなのですが、政府が厳格に学術会議を監督する立場から締め上げるというように新しい法律を使うことも可能だと思うのです。
財源の問題もそうです。これだけ要るのだと言えば、政府がちゃんと保障するということになるのか、そうではなくお金が足りないような状況に追い込んで、学術会議が自主財源の調達を図らなくてはいけない状況に追い込むのか。後者がすでに想定されていますが、匙加減でどうにでもなるような管理法のシステムが作られました。
そうなると、学術会議と政府との間の関係が今後どうなるか、科学者はしっかりと自分たちの立場を堅持しながら政府に物申して、国民に自分たちの存在を訴えながら、どう学術会議の活動を続けていくことができるか、このことが問われる状況に置かれているのではないだろうかと思います。
政府の答弁を聞いていて、本当にため息がでましたが、なぜ特殊法人になるのか――岡田さんもおっしゃいましたが――内閣総理大臣が任命拒否をしておいて、「こんなことが2度と起こってはならないから法人化する」と政府は説明しました。「これはなんだろう?」ということでしょう。総理が任命拒否などしなければ、特殊法人化する必要なんてどこにもないのに、「また総理がそんなことをすると困るから」と言うのです。わたしは、これを「マッチポンプ型」と言ったのですが、そういうことで法律が作られてしまったということです。
(3)「2025年法附則における仕掛けへの危惧と石破政権下での『休戦』?」
皆さん新法については色々とすでにお聞きになっていると思いますが、新法は「附則」で移行期のことについて規定しています。そこでは2つ注目しました。1つは次期会員選考について特別の選考委員会を作ることにしました。これは、1983年の例があるということで、政府もそれを根拠にしています。システムを見ると、選考委員会が特別に作られて、候補者はそこから出てくるのですが、学術会議会長がすでに任命した20人の選考委員会は、分野から1人ずつくらい、名の知られた科学者が並んでいます。学術会議は30の専門分野別委員会がありますから、20人では足りない。
そこで実際の選考では、その選考委員がさらに分野別に専門委員を選ぶことになっているのです。この専門委員の中には現役の会員がかなり入るのではないかということも言われています。20人の特別の選考委員会の中で現役の会員は2人だけです。日本学士院会員が目立ちます。また、委員長が元最高裁判事の東大名誉教授で刑法学者の山口厚さんになりました。山口厚さんを選考委員会委員長にするというのは、今の学術会議の執行部からは出てこないアイデアだと思います。
現在、学術会議会長、副会長は3人いますが、法学者はいません。
もう1つの問題です。来年の10月に法人学術会議の最初の会員総会が開かれます。この会員総会で新しい学術会議の会則や色々な運営のルールを決めることになるのだと思います。決めないとその後の活動ができませんから。この会員総会では同時に新会長を選びます。これについて、附則は、首相が最初の総会を仕切る会長職務代行者を指名することができると規定しました。これを見た時には、「やっぱりな」と思いました。
つまり、会長職務代行者を首長が指名するとすれば、この人が最初の総会を仕切ります。それで、色々な会則や細則の案を提案する役割を果たします。その人が責任者になりながら、これらを事務局を使って用意するでしょう。会長職務代行者が新会長の最有力の候補者になることは容易にみてとれます。そこで、これは事実上の次期会長指名権だと考えられるでしょう。わたしたちもそのように批判しました。ところが、石破首相はこの指名権を現在の会長に委任したのです。つまり、現在の会長が来年の10月の総会を仕切る会長職務代行者を指名するという体制になりました。
わたしたちが危惧したことについて、このように石破首相は対応したということなのです。危惧が晴れたとは言いませんが、休戦状況になったというのが1番いいとわたしは思っています。
(4)日本学術会議の移行準備体制
移行準備の体制、これが今の1番大変な仕事です。お見せしているのは、会員の方はご承知の『日本学術会議関係法規集』です。この中にもちろん法律が入っていて、会則、運営規則、学術会議が自主的に作り上げてきた様々なルールを集めたルールブックなのです。この内容を新しい学術会議がどのように継承していくかということです。
『日本学術会議関係法規集』を掲げる広渡氏
制度的な継承もありますが、非常に細かなところまで学術会議は運営ルールを決めてきています。報告をどういう形で出すかとか、報告の作り方まで書かれているのです。これらをどういう形で継承するかという議論がいま学術会議では行われているということになります。
先日10月の総会で準備体制について提案があって、了承されました。法人化準備委員会、これは11名で構成されています。これが全体の制度設計、ガバナンス体制、この中にあるようなルール、会則、細則、運営規則、そういうものをどうするかを少なくとも来年の8月頃までには整理しておかなければならないということになっています。
その他に、分科会とワーキンググループを作るということで、会員選任制度検討分科会――これは新学術会議になって、どのように会員を選定するかというルール作りをあらかじめやります。もう1つは日本学術会議憲章検討分科会です。日本学術会議は、2008年に「日本学術会議憲章」を作り、日本学術会議は社会に対してどういう責任を負うか7項目からなる憲章を作りました。総会の議論を聞いていますと、この憲章を改訂して、削除された前文の趣旨を、この中に盛り込んだらどうかとかという意見がでていました。実は、この憲章の前に、日本学術会議は1980年に「科学者憲章」というのを作っています。この「科学者憲章」は、日本学術会議憲章ではなくして、科学者の憲章で、日本の科学者はどうあるべきかという憲章を作っています。この趣旨を学術会議憲章の中に入れ込んだらどうかという議論を総会でやっていましたので、これは将来に向けて意欲的な検討をする分科会になりそうです。
もう1つは自己資金検討ワーキングループです。自己資金の心配をすることが当然に想定され、その場合に利益相反につながるような紐付きにならないように色々な原則が必要なので、これを検討することがこのワーキンググループの仕事のようです。
この移行準備は本当にもう時間との勝負です。学術会議が70年間積み上げてきた内部ルールがあるわけです。途中で法律改正が行われたので、70年間とは言えませんが、少なくとも2004年改正以降の20年間分はしっかりとこのルールブックに書き込まれているわけです。
学術会議の運営には基本的なことがたくさんありますが、そのまま継承するというと、「せっかく法を変えたのになんだ」という話になるでしょうから、これを上手にレトリカルに、しかし本質を見失いなわないようにすることが必要なのではないかと思います。
(5)2005年法の下で学術会議はどうなるか
そこで、2005年法の下で学術会議はどうなるかです。法人学術会議――わたしは新学術会議というのは嫌なので「法人学術会議」と仮に言うのですが――はどうなるかです。色々な心配事をそこに書いておきました。まずなによりも、この管理法のシステムをどの程度まで政府が強く利用するか。これは政府の考え方にかかっているわけです。内閣総理大臣がどこまで「俺は監督者だ」という立場で学術会議に強く接するかという問題です。わたしは、法律は法律として作られたが、それは制度に従って形式に運営されるにとどまって、これ以上実質的な政府の介入はないという条件がないと今後の学術会議の自律性とか独立性は言いにくいなと思っています。
その前提で、非常に実質的なことを申し上げると、会員構成の変容の危惧があります。現在は会員定数210名で6名の欠員がありますから204名です。210名は第1部の人文社会に70名、第2部の生命科学に70名、第3部の理学・工学に70名と、部に応じて70ずつ均等に分かれていますが、法改正で会員数が40名増えて250名になります。現在の3部制――人文社会、生命科学、理学・工学という3部制を維持するかどうかは法律では決められていません。学術会議に任せられています。したがって、どういう分野構成で定数を配分するかなどというのは学術会議の議論に委ねられています。210から40名増えるわけですが、この40名の配分をどうするかということもこれからの学術会議の議論にかかります。会員バランスの再編成というのが当然課題になります。その中で、日本の科学技術行政の全体の動き――大学のあり方も含めて――理系中心の大学教育・科学研究の方向に進んでいくとすると、学術会議における会員構成――さらに連携会員について現行制度を維持することが学術会議の総会で会長から提案されましたから連携会員の構成について、全体のバランスをとった選考・任命がどうなるか、とても重要な問題ではないかとわたしは思っています。もちろん他にも色々な問題ありますが、これだけはちょっとお話ししておきます。
(6)学術会議のこれからをどう展望するか
学術会議のこれからをどう展望するかという問題もあります。わたしは、現在のわたしの考え方をまとめた論文を『法と民主主義』(2025年12月号)という雑誌に書きましたが、表題を「日本学術会議は科学者の社会的責任を可視化する科学者組織である――特殊法人化によってその志を奪えるわけではない」としました。わたしは表題が日本学術会議のミッションだと思っています。
現代において――原爆を科学技術が生み出して以降の世界においては、学問の自由は科学者の全くの自由を許すような学問の自由ではあり得ないと認識されていると思います。また環境汚染や地球温暖化も科学技術の責任が大きいわけです。そのことに世界の科学者は気付いています。
他方で、政治権力に対して学問の自由を科学者は擁護しなくてはならない。それは真理を追求する自由がこの社会の中からなくなったらどうなるかという根本的な問題だからです。それゆえ学問の自由を断固擁護するのだけれども、しかし、その学問の自由、科学者の科学研究の自由というのは、科学者が何をやってもいいという自由ではない。本来は真理探究のためなら何でも許されるというのが科学研究の自由です。しかし現代において科学技術は人類に対して非常に大きな負荷を与えるようなプロダクトを生んでしまった。したがって、現代の学問の自由は、科学者が自律的に科学者の社会的責任を負うということと合わせて初めて成立するのです。これが世界の科学者の基本的な考え方になっていると思います。
これを科学者組織として、科学と科学者のあり方を踏まえて、政府や社会に対して科学的助言を行うのが各国の科学アカデミーの役割だと考えています。日本では日本学術会議が日本の科学者を代表してそれを行うということなのであり、特殊法人化によって、日本学術会議のこの使命を――志と言ってもいいのですが――奪えるわけではない。今後も学術会議はこのことを堅持して、自分たちのあり方、活動の仕方を考えていかなくてはいけない。
必須の文書として1955年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」と1999年の「ブダペスト宣言」をここに示しておきました。『法と民主主義』の論文では多少詳しく書いておりますので、ご参照いただきたいと思います。
最後に具体的課題です。これはとても重要だと思います。学術会議は日本の科学者を代表するという法律上の地位を与えられているのです。では、日本学術会議は何に留意しなければいけないか。それは、科学者の社会的責任をしっかりと果たすことを自分たちのミッションとすると同時に、自分たちは日本の科学者の代表であるということを常に自覚しなければいけない。
代表であるということは、単に自覚するだけではなくして、代表であることにふさわしい組織を作るということです。たとえば、連携会員のあり方をどうするか。連携会員というのは、2004年法改正の際、会員数を2000人ぐらいに増やすというアイデアがありました。日本には2000以上の学協会があるので、学協会に必ず会員が1人ぐらいいるように、日本学術会議のメンバーを増やして、日本学術会議が本当に日本の科学者の代表組織であるという――これは建前だけではなくて実質を実現しようじゃないかという発想です。会員数を増やすことができず、連携会員は代替的な制度として導入されたのです。加えて、学協会との連携の取り方とか、それから会員選考のあり方などについても絶えず見直して、日本学術会議は日本の科学者の代表である、政府の組織ではなく、日本の科学者の代表であることをどう確保するかに留意していかなくてはいけないと思います。
政府に対峙するときの1番重要な論理は「社会のための学術」、サイエンス・フォー・ソサエティ(Science for Society)です。これは今回の法案を用意した有識者懇談会の議論の中でも本当に頻繁に出てくるのですが、そこでは、社会のために有用なものを作り出すのが学術の役割と主張されています。それは間違いで、真理を追求することが学術の役割であり、科学者としてこれが必要だということをやるのが科学研究ですが、同時にそのことについて科学者は社会的責任を負うということです。この社会的責任を負うということを「社会ための学術」と表現しているのです。役に立つか立たないかといったとき、それは誰が役に立つか立たないと決めるかという問題が起こる。科学者はここを譲らずに真理を追求すること、そのことに自律的に社会的責任を負うこと、政府ときちんと学術会議が対峙することが今後とても必要なのではないかと思います。「役に立つことをやれ」という要請がこれからどんどん強くなる。そこで高市政権で役に立つというのは何なのかという話がすぐ出てくると思うので、これから学術会議はこういう課題に直面するのではないかと思っております。以上で終わります。
議論②
榊原秀訓
どうもありがとうございました。時間を守っていただき、ありがとうございます。選考委員会の会長が同じ最高裁の裁判官でも山口厚さんではなく宇賀克也さんだったら違うのではないかと感じました。まず、ここでも本多さんから質問・意見を出してください。よろしくお願いします。
本多滝夫
広渡先生、どうもありがとうございました。最後の社会のための学問とか学術といったものは「社会に対して責任を負うことだ」と、「決して役に立つとかそういうことではないのだ」と、そういうことにつきましては、なるほどそういう意味だったのかと改めて思いました。どうもありがとうございました。
その話に最終的に向かうのですが、その前に、これは先ほどの岡田さんの報告とも被るところがあるのですが、学術会議を法人化したことは、国から独立した法主体、すなわち国と学術会議法人はある意味では対等な法人格相互間の関係になるはずなのですが、新法――今回の先生が言うところの「学術会議管理法」が設けている様々な内閣総理大臣の関与は、対等関係をおよそ前提としているようには見えないわけです。学術会議法人がどういう意味で「独立」ということになっているのかということについてお聞かせいただけないでしょうか。
その点で、これは先ほども言いましたが――岡田さんの報告でも指摘がありましたが――独立して職務を行うという現在の学術会議の規定がなくなったのは、国の機関ではなくなり、内閣総理大の指揮監督が及ばなくなったという意味で不要だということなのでしょう。にもかかわらず、新しい法律の方では「自主性・自律性への配慮」といったことが設けられているわけです。この独立性と自主性・自律性との関係というのはどのように考えたらいいのか。独立性が薄らいで単に自主性・自律性に貶められたと見るのか、それとも指揮監督が及ばなくなったという意味で確かにそういう意味では独立性という文言はいらなくなったが、自主・自律性といった文言は、組織的の自律的な運営、まさに職権の行使あるいは業務の行使の独立性といったものの担保となるものではないでしょうか。若干規定のあり方としては弱いけれども――配慮という意味では弱いけれども――それをきちんと活かしていく、そういう解釈論なり運用なりの可能性についてご意見いただければと思います。
榊原秀訓
それでは岡田さんからお願いします。
岡田正則
まず独立ということですが、やはり国の機関として、国の機関の間で対等・独立な関係を作るというのが設立時の趣旨でした。しかし、新法は、学術会議を国からともかく排除して別立ての法人にした。それで対等な関係になるかというと全くそうでないことは、例えば国立大学法人にしても独立行政法人にしても明らかです。国あるいは政府と対等かというと、まさしく従属している、そういう仕組みにされてしまったわけです。あるいは地方自治体にしても1999年の地方分権改革で国と対等だということになったはずなのですが、依然として自治体は国にいいように使われる面が多いのが実情だと思います。さらに、今年(2025年)6月の法改正で、「補充的指示権」が関与制度の例外として国が指示を出せるようにしてしまいました。このことは、やはり対等とは全く逆の制度の導入でしょう。したがって、国の指揮監督が及ばないようにするのが設立時の制度だったにもかかわらず、別法人にして国による指揮監督が及ぶように仕組んだ──こういうことが事の本質であるとわたしは思っています。
榊原秀訓
広渡さん、いいですか?
広渡清吾
前にも新聞記者の方からその点について聞かれたことがありました。「独立することになるのですよね?」「政府はそういう説明していますけれども、どのように考えたらいいのですか?」と。
例えば、労働者だって独立した人格ですが、雇われて働いていると労働過程で使用者への従属性が生まれるので、労働組合をちゃんと作ろうといった話が出てくるわけです。だから、法人格を与えられて法的に独立したということは、そういう意味、つまり権利義務の帰属単位としての独立であって、お互いの関係がどういうシステムの中に置かれたかによって、実質的に独立性が保たれるのか、あるいは自主性・自律性が保たれるのか、具体的な運営のあり方によるのではないかと思うのです。問題は、管理システムです。
この管理システムの下、「もうあまり言わないから自由に学術会議の方でやってね」という政府の姿勢になれば、学術会議の自主性・自律性は保たれるのではないかと思いますがそうはならないでしょうね。ただ一言すると、1948年法のもとで運営されてきた学術会議とは全く違ったあり方が2025年法のシステムとして想定されています。一緒に声明を出した会長OBはみんなそういう意見なのですが、こういう学術会議をどうやって運営したらいいのかと。学術会議会長が任命する、外部の委員会というのは、今でも外部評価委員会を学術会議の会長が頼んでやってもらっているわけです。1年に1回、評価レポートをもらって、総会で議論をして対応しています。
それと同じように、会員選考について選定助言委員会、運営について運営助言委員会を外部者で構成して作りなさいという新しい制度が入りました。これは「会長が任命するのだからいいでしょ」ということになっています。
けれども、法律上設置せよということになり、法律上意見を言う機会を保障されている委員会がどういうあり方を示すかわからない。また評価委員会は、学術会議の自己評価について、その結果と自己評価の方法についてどの程度チェックをするのか。チェックをした結果は首相に報告するということになっています。年次的な自己評価、6年ごとの自己評価について、これをいちいち厳格にやられたらどうなるのだろうか。そういう問題だと思います。
したがって、政府は日本学術会議の運営にクチバシを入れるなということを基本的な前提にしないと2025年法の下での学術会議の自主的な運営は難しいと思います。しかし、2025年法も、日本学術会議は日本の科学者の内外に対する代表機関であると規定しています。会員はコ・オプテーションで選ぶと規定しています。もちろん、コ・オプテーションで選ぶときに広い範囲から――産業界からも――候補者を推薦させて、そこから選ぶというので今とは違いますけれど、最終的には日本学術会議の会員がコ・オプテーションで選ぶという建前は崩されていないわけです。
そして、政府に勧告できるという制度も残されました。日本学術会議が日本の科学者を内外に対する代表機関として政府に勧告をする科学的助言機関であるというその建前は失われていないのです。日本学術会議がいかに自主的、自律的にそのミッションを履行できるかは政府の態度にかかっている、学術会議は対峙してがんばるとしか言えないのではないかと思っています。
榊原秀訓
本多さん、いかがでしょうか?
本多滝夫
詳しい説明をいただきどうもありがとうございます。
榊原秀訓
では、わたしの方から、今の点にも関わって、広渡さん、それから岡田さんにも関わるかと思うのですが、少し確認をさせてほしいと思います。日本学術会議より前に――岡田さんのところでも確か大学の法人化とそういう話が出ていたかと思うのですが――大学の「改革」は、今回の日本学術会議の「改革」と基本的な発想がかなり似ていて、大学でも法人化することによって独立性というか自主性を確保して大学が自由にやれるようになるのだとしていました。そうは言いながら、実際には財政をどんどん削るであるとか、一定のガバナンスというようなものを導入して外部の者が介入できるようにしていく。最近で言うと卓越大学ですよね。それがさらに一層介入を図るというようなことで、どうもこういった制度「改革」が大学をダメにした最大の理由ではないかと思われるのですが、おそらく政府にとってはこれが成功したという理解なのか、日本学術会議にも続いているようですので、その異同について、ご意見を伺えればというのが1点目です。
もう1つは、独立性との関係で、裁判所の例も出ていたので、裁判所との関係です。特に任命ということで言うと、実は世界的、あるいは国際的には選考委員会を作って――特に最高裁などはそうかと思うのですが――裁判官を選ぶという制度があります。日本でも、最初は最高裁について選考委員会というのを作っていました。もちろん、そうは言っていても、選考委員会それ自体の問題ではなくて、選考委員をどうするかとか、そういった問題が絡んでいると思うのですが、日本学術会議と裁判所との比較と言いましょうか、そういったことで独立性あるいはガバナンスに関わって、ご意見があればお聞かせください。よろしくお願いします。
広渡清吾
面白い議論が出てきたと思います。実は、裁判官の公選制――裁判官を市民が選ぶという考え方でドイツなどはそうなっているわけですが――と学術会議会員の選考を比較して考えてみると、こういう議論がありえます。学術会議会員の選考に市民が参加をするという手続きはありません。コ・オプテーションというのは、専門分野の専門家が同業者の中から自分たちの代表を選ぶというやり方です。これをコ・オプテーションと呼んでいる。大学の教授会の人事はみんなそういうやり方になっていて、自分の同僚になる人を選ぶ、あるいは自分の後継者を選ぶということです。これは、専門家仲間の自律的な選考方法です。
裁判官の選考についても、裁判官自身が選ぶというやり方もあるのです。これに対しては、市民を参加させることが裁判官選考の民主的なあり方だという批判がでてきます。つまり、裁判官を裁判官自身が選ぶというコ・オプテーションは、司法の民主主義的な考え方と矛盾しているという批判です。このようにみると、学術会議の会員選考は民主的な選考方法でない。つまり、市民が――参加する選考手続きにはなっていない。専門家内部で選ぶ手続きになっている。しかし、これは逆に言うと、政治権力や社会的な権力が介入できない選考方法でもあります。
自律というときに、それはその人たちが全く自由にしていいということを意味するのか、あるいは社会的なコントロールをそれにかける必要があるのか、必ず出てくる問題です。
実は、医者の世界について、法律家でもそうですが、専門家が自律的な機構を作るときに、そこに必ず非専門家の参加を認めるべきだと、非専門家を参加させることによって初めて専門家の組織の自律的なあり方が民主主義的な契機によって補完されることになるのだと、そういう議論があります。日本弁護士連合会をモデルにして「日本医師機構」を設立するという案を学術会議は提言したことがありますが、そういう議論をしました。学術会議はこれまでそれを取っていません。そこのところは、これは学問の自由をどう理解するかということとも関わり、基本的な問題だといま榊原さんから出されましたので、以上申し上げておきたいと思います。
岡田正則
国立大学の法人化という施策は、大学関係者からすると、とんでもない失敗例、あるいは日本の研究力を低下させた原因じゃないかという評価が一般的だと思いますが、政府からすると成功例として考えられているのではないか──1つめはこういう趣旨のご質問だったかと思います。財政を通じたコントロールの最も悪い点は、いわゆる「選択と集中」に大学と研究者を追い込んでいくという点です。「3年とか5年で成果が出ないような研究はやっちゃダメ」ということになるわけですから、もう結果が分かり切っているような研究しかプロジェクトが立ち上がらない。こうなると、日本の研究力が低下するのはある意味で当たり前なのです。長期的な視点、あるいは人類社会全体の視点から離れて、自分の身を守る、あるいは学生に対して教育の最低限の費用を得るというための研究になってしまいますから、ダメになってしまうのです。
わたしは、このことについて岩波新書(『学問と政治――学術会議任命拒否問題とは何か』2022年)にも書きました。「ガリレオ裁判」についてです。あの時にガリレオがやろうとしたのは、加速度がどういう物理法則で説明できるのかという、微分や積分の原理を解明しようとしたと思うのですが、それは究極の世界、無限の世界を人間が直接把握することにつながります。このことはカトリックからすると神の世界を人間が直接把握することになり、それは許されないというのが問題の発端です。イタリアは当時、科学においても経済においても世界の最先端だったのですが、最先端の研究ができなくなって、結局研究者はドイツやイギリスの方に出て行ってしまい、ライプニッツやニュートンが近代科学の基礎を作るわけです。そしてイタリアは経済的にも没落します。このようにやはり長期的な視点からきちんと学術を支えないとその国は没落してしまうというのが歴史の教訓かと思います。
2つめは裁判所との比較ですが、日本の裁判官はやはり非常に閉鎖的な方法で選任されています。今度、候補者選考委員会の委員長になった山口厚さんは、最高裁に行く前は、早稲田大学の法科大学院で一緒に委員会とかもやっていた方なのですが、最高裁の人事で、なぜか弁護士枠を用いて不明朗な形でリクルートされたという疑惑がありました。その意味で、この選考過程についても本来政府は国民の皆さんにきちんと分かるように説明しなければなりません。また様々な審議会の委員もやはり国民代表の専門家として選任されているのですから、人類社会を代表して行動してもらわなければならない人たちです。これらの人たちを政府側が自由にピックアップできる――チェリーピッキングですかね――という考え方自体を改める必要があると思います。
それから、日本の裁判所と裁判官──これは本当に蛸壺の中であって、異様です。例えばアメリカや特にヨーロッパに行くと、国際水準の中で判断しないと裁判はやれないというのが常識です。しかし日本の裁判官は外に出られない、出してもらえない。閉じられた世界の中で窒息しないように生きている。こういう日本の裁判官のあり方自体も改善しなければいけないのではないかと思われます。その意味で、裁判官の独立性などと言いますけれども、それも含めて専門職の独立性――地方自治体の独立性もそうですが――がこの社会の健全化につながるのだということについて真剣に考えなければいけないのが現在の局面ではないかと考えています。
日本学術会議と地方自治
榊原秀訓
はい、どうもありがとうございました。個人的にはもうちょっと聞きたい気もするのですが、時間もありませんので、よろしいでしょうか。では最後にわたしが簡単に報告をさせていただきます。
はじめに述べましたように、自治労連の地方自治問題研究機構ですので地方自治を扱うべきであるということで、少し調べたことを報告させていただきます。
ただ、日本学術会議の性格に照らしてみると地方自治に関して「こんな素晴らしいことをやっている」ということを報告するのが難しく、「そもそも日本学術会議は地方自治とはかなり距離がある」というような指摘を受け、また、「日本学術会議と地方自治などというテーマ設定は無理があるのではないか」とも言われたところです。
これは、日本学術会議が時の政府の政策にすぐ役立つとか、そういう組織であるわけではありませんし、地方自治に関わっての政策形成、あるいはそれを批判する場というのは他にあるからです。日本学術会議はやっぱり学術研究をメインにしていますから、そういう意味では難しいところがあると思っております。
もちろん地方自治ということで考えてみると、教育で言えば、基本的には市町村においては小中学校、都道府県においては高校であるとか、学校教育はすごく馴染みがあると思います。しかし、大学とか日本学術会議ということになると自治体からはやはり少し距離がある。こういうことになるのではないかと思いました。
(1)日本学術会議の活動と地方自治
とりあえず日本学術会議においてどのような活動があるのかないのかを少し調べてみました。基本的に行ったのは日本学術会議のホームページを探してみることです。ですから今日参加している方も同じことをやれば同じものが見つかります。おそらく研究者はともかく――あるいは研究者でもそうかと思うのですが、自治労連の方々は日本学術会議が何をやっているかとか、どういう意見を述べているかというのはあまり直接目にする機会はないのではないかと思います。
はじめに、提言であるとか見解を確認しました。大量にありますので、ホームページのトップページのみ見てみます。例えば、見解として「能登半島地震・豪雨災害の教訓に基づく広域地域災害への備え」、「女性の政治参画を進めるための制度改革と環境整備について」や、提言として「研究力の危機と再構築:学術と社会を支える持続的な研究エコシステムの構築に向けて」、「研究の活性化へ向けた研究評価の具体的な改善方策」など、色々なものが掲載されていることが分かります。
地方自治に関わっているものが全くないわけではなく、地方自治や自治体に関するテーマを扱ったものもあります。例えば、人口減少であるとか地方再生であるとか、こういったものを扱っている提言はいくつかありまして、「人口縮小社会における問題解決のための検討委員会」――課題別委員会というものと分野別委員会というものがあるのですが、これは課題別委員会によるもので――、人口縮小社会に焦点を当てて、特定の専門分野の研究者だけではなく多数の専門分野の研究者を集めた委員会が2020年に提言を出しているわけです。
いま会場に参加されている白藤さんも日本学術会議会員だったということもあってこの委員会に参加をされているようです。しかしながら、地方自治について具体的に何か提案をしているかというと必ずしもそうではありません。人口減少は、地方自治にとって大きな課題なのですが、報告書に地方自治体という用語はあっても、地方自治あるいは住民自治であるとか団体自治という用語で報告書をキーワード検索してみても、それらは一切ヒットしません。地方創生に関わっても、分野別委員会の提言などがありますが、やはり地方自治に関しての問題というのは存在しない。現在、同じ課題別委員会として「学術を核とした地方活性化の促進に関する検討委員会」というものがあり、まだ提言とかは出ていませんが、地方自治は登場していない。こういう関係になっております。
もちろん、地方自治をメインに扱うものではなくても、それに関わって一定の提言などをしているものはいくつかあります。最近で言いますと、提言として、「社会と学術界におけるジェンダー平等・公正の実現を目指して―2030年に向けた課題」ということで、自治体、地方議会ですね、こういったところでの問題を扱うものは存在しております。他にも、見解として、「女性の政治参画を求めるための制度改革と環境整備について」では国会と同じく、地方議会についての改革も進めなければいけないということを述べております。
次に、イベントというものを確認します。日本学術会議は、毎年色々なシンポジウムを開いております。例えば法律の分野や社会科学系の分野でも、シンポジウムを開いております。こちらの方は、ずばり地方自治に関するシンポジウムがありまして、日本学術会議の「政治学委員会 人口減少化の行政・地方自治分科会」で、わたしも属しております日本地方自治学会の公開シンポジウムです。「人口減少下の地域福祉と地方自治」ということで、日本地方自治学会開催に合わせて、その中でシンポジウムを開いております。この手のシンポジウムは、いくつも見つけるということが可能です。
それから、委員会です。先に触れたように、課題別委員会の他に分野別委員会もあります。わたしが属している法学の分野ではどういったものがあるか少し見てみましょう。期によって分科会の中身が変わっていきますので、現在の分科会ということになります。例えば、「グルーバル化と法」分科会、ジェンダー法分科会、「新たな人権の研究」分科会などがあります。法学分野だけではなくて、他の分野の研究者の方々と一緒に合同で作られている委員会もあります。例えば、法と心理学分科会、子どもの権利保障分科会などです。ただし、これらを見ても、地方自治がメインで扱われるというのはあまりないということがわかります。
(2)地方自治体の対応
最後に、この度の日本学術会議法「改正」との関係でどのような対応を、地方自治体がしているのか確認してみました。この度の法改正に関わって何か意見を述べているという自治体は多くはないのですが、議会を見てみますと、いくつかの自治体においては決議案が提出されています。比較的規模が大きい政令指定都市ということで探してみると――他にもあるかもしれませんが――京都市、川崎市、北九州市などが議員提案をしています。ただ、議員提案をしても、多数の議員がそれに賛成をしないので否決されることが多くて、可決されるのは極めて少ない状況のようです。
中身を見ても、可決されるか否かに関わりなく、例えば、地方自治の観点から問題があるから反対をするとか、廃案にせよとか、こういうことを言っているかというと必ずしもそうではなくて、今まで議論になっていたような話――独立性であるとかですね――このような観点から問題があるという指摘になっています。ただ、議員提案や可決の数が少ないということをどのように考えるのかということはありまして、これまでの話でも出てきましたように、特例指示権あるいは補充的指示権はダイレクトに地方自治に関わる問題なので多くの自治体なり地方議会が反対したかというと、そういうわけでもなくて、やはり必ずしも決議をあげているような自治体、意見書を出しているような自治体は多くない。そのような状況を前提にしてみますと、少数の議会でも決議を提出したり、可決していることが重要ではないかと思います。
以上からお分かりかと思いますが、どうもダイレクトに地方自治の関わりがあるからということとはちょっと別の問題として考える必要があるのだろうと思います。
(3)民主主義と学術研究との関係
すでに大学であるとか裁判所とかとの比較として、問題が出ているかと思います。民主主義との関係でいうと、民主主義をあまり制約なく、多数派の政治、政策を推進できるものと理解して、大学や裁判所に介入していると言えます。こういった介入のあり方ということを考えてみると、トランプ政権も一緒かと思います。政治が学術研究に介入をして、自らに反対するものについては組織をなくすとかお金を出さないとか、そういう対応を取っております。日本で考えてみると、第2次安倍政権以降、もう民主主義で決めた、多数派があることを決めたので、それに賛同しない自治であるとか独立性を認めず、それらを政権の統制下に置くという対応を取っているのではないかと思います。他にも、色々な例を挙げることができます。制度的に審議会も、従来以上に政治的な意向が反映しやすくなっています。大臣がメンバーに入り、第1回の会議において基本的な方向付けをするような政策会議といったものになっていると思います。
学術研究と地方自治との関係でどのような共通性あるいは違いを考えるかということはあります。国と自治体との関係を考えてみると、内閣総理大臣・国会議員も首長・議員のいずれも、最終的には国民が選挙で選んでいると一応言えると考えると、民主主義対民主主義の間で緊張関係が生まれているように思われます。他方で、国と日本学術会議の場合、それとは異なると思います。民主主義と学問の自由や独立性という対立、緊張関係ということになると思います。民主主義対民主主義の関係で、自治体の場合には、「首長、議員は公選で選んでいる。だから国が自治体の首長や議員を選ぶことまではできない」ということになります。ただし、制度的介入ということで考えてみますと、すでに議論に出てきた特例指示権、補充的指示権の問題、個別の問題としては、辺野古の新基地建設、あるいは財政を通した政策の誘導――近年の問題として、国が給付金その他の方針をいろいろ決め、現実にそれを担当し、実施するのが自治体の役割になっている――といった問題があるのではないかと思います。
また、国立大学に対して国が直接学長を指名するということではないかと思うのですが、これまで交付金の削減を通した介入であるとかガバナンス改革と称する介入を行っており、さらにそれが私立大学にまで広まっています。これに対して、日本学術会議のようなアカデミーに対しては、従来、国立大学に対する介入までは至っていなかったと思われますが、国立大学と類似の介入をすることができる法「改正」になったのかと考えています。そして、指摘がありましたように、比較法的に考えてみると、日本の学術会議への介入の仕方は他国よりも相当ひどいのではないかと考えます。
現在の自民党と維新の政権を考えると、副首都構想を別としますと、地方自治に関する具体的な政策は基本的になく、むしろ従来の民主主義のあり方とか権利保障のあり方を転換するという、より重大な――もちろん地方自治も重要なのですが――提案をしていると考えられます。
こういった文脈も踏まえながら国と自治体との関係と同様に、学術研究における自由や独立性を考えていく必要があると思っています。
議論③
榊原秀訓
以上、簡単ですが、わたしの報告になります。ほとんど時間ありませんが、短時間ですが、ご質問を――ご意見などが多くなるかと思いますが――ここでもまず本多さんからよろしくお願いします。
本多滝夫
難しい問題に関して報告をいただき、ありがとうございました。
わたし自身にも何か考えがあるわけではないのですが、地方自治とそれから学術の自治あるいは自律には、やはり異なるところがあるというご指摘なのですが、ただ、自治なり自律性を破壊していくといったことが、昨今、政府の方で一貫して行われているのではないかと。これは榊原さんの方からもご指摘があったところです。
そうした自治や自律性を持った団体は邪魔者だということで、その抵抗を排除し、あるいはその独立性を形骸化させていくといったことが色々な方式で行われていると思います。自治体についてはどうなのだろうかと。これは、例えば地方創生政策では、地方自治体にKPI(重要業績評価指標:Key Performance Indicator)を設定させて、そのKPIの実現度の観点で地方自治体を量っていく、あるいはKPIの実施の程度を外部のものに評価させて、その評価書を出させてコントロールする。こうした方式で独立性や自治を形骸化する。よくある最近のやり方だなと思います。
そういう意味では、地方自治体については徐々にガバナンス改革を通じて国の意向といったものを反映させるやり方が取られているにもかかわらず、学術会議については、組織そのものに手を入れるという今回のやり方はかなりドラスティックなものだと受け止めています。この違いはどこから出てきているのだろうか、と。
これは印象的な意見にすぎませんが。
榊原秀訓
ありがとうございます。基本的な財政統制とか、いろいろなルール、基準を国が作って、それに沿って進めていくという方式という限りでは、似たような仕組みを地方自治体に対しても取っているのかなと思います。もちろんそれで済まなかったら強権的な介入、関与というものをしていくということが考えられると思っております。岡田さん、広渡さんからも、地方自治に関わって少し準備していただいたにも関わらず、ちょっと時間がなくて、コメントをあまり十分にされていないところがあるかと思いますので補足的に発言がありましたらよろしくお願いいたします。
岡田正則
まず、日本学術会議の活動と地方自治との関係ですが、わたしは12年ほど学術会議の連携会員をやっておりました。去年の9月までが任期でしたけれども、そこで活動していたのは、東日本大震災の後の時期ということもあって、大規模災害対策の2つの分科会のうちの1つでした。そこではまず防災対策、それから復旧復興などでの自治体の役割について提言を出しましたが、その中で特に避難住民の権利保障を担当いたしました。
住民票がある自治体とは別なところに避難せざるをえない、住民だけでなく自治体も全て避難せざるをえない──福島県の相馬・双葉地域の自治体がこのような経験をしておりまして、そういった避難住民が避難先の自治体で住民として暮らすためにどういうことが必要か、全町避難の自治体には何が必要かといった提言をしました。国会でも少しは取り上げられたのですが、避難元と避難先の2つの自治体がきちんと連携し、住民が必要とする支えを提供するような仕組みができておらず、今後の課題となっています。
世界的に見ると避難住民の権利保障というのはやはり大事なことでして、一時避難の場所の保障とともに、広い範囲で、しかも長期的に住民を支える仕組みを整備することも地方自治の問題としてきちんと取り組む必要があります。それから復旧の問題で自治体間連携についても考えなければなりません。自治体の職員の相互派遣とか、相互の応援態勢を日頃から準備するとか、そういった課題です。
歴史的にみると、日本の地方自治制度は首長の一定の専門的能力を前提にしている面があります。例えば都道府県の首長は「長」ではなく「知事」と呼ばれています。知事というのは、皆さんご存じのように「知藩事」というのがスタートラインでして、明治政府になったばかりの廃藩置県前は、藩を知る、管理するという、そういう趣旨で国の官吏がその役目を果たす。首長は管理能力さえあればよいのですから、現在でも知事とか市町村長は、議会の議員とは異なり、住民でなくてもいいわけです。東京都知事が神奈川県民であっても何ら構わない。知事の「知」というのはマネージするという意味でして、一方で、日本の地方自治が住民を支えとして運営されているかという点を見直す必要があるのですが、他方で同時に、住民が必要とする専門的な知見──各々の地域で培われてきた知見──をどのようにして自治の力として連携により動員できるのかということも、マネージを担当する首長と自治体職員にとって、重要な課題ではないかと思いました。
榊原秀訓
どうもありがとうございました。広渡さん、お願いします。
広渡清吾
日本学術会議の制度の中に地区会議、それから地方学術会議という制度が自主的なルールとして設けられています。会則の中に地区会議という章があって、北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、九州、沖縄、この7つの地区ごとに大体年に1回、地区会議をやっています。その地区に在住している会員と連携会員が運営母体を作って、講演会開催というのが通例です。
わたしが関わっているときに、地区会議も報告や提言ができるとルールを変えました。単にイベントをやるだけではなくて、地区の問題をその居住している会員と連携会員がテーマを立てて審議をし、報告や提言をできれば、それを学術会議の名前で対外的に発表することができるという制度を作りました。
毎年、地区会議がやられています。ただし、講演会のテーマとしては、一般的な科学的なテーマが多いので、地域に特化した何かテーマを取り上げるということはそんなに多くないようです。これが1つです。
それから、山際会長の時に地方学術会議という制度を作りました。これは政府の進める地方創生と連動しながら地方で学術会議を開催するというものです。例えば令和7年度は金沢で講演会をやっております。これは、地域の問題を取り上げて議論し、地域における学術会議のプレゼンスを高めることを狙ったものではないかと思います。
学術会議がとりあげるテーマとして、さっき岡田さんがおっしゃったように、避難住民の出身地と今居住している地域の2重の住民登録を認めるとか、学術会議は大きなテーマ、つまり東日本大震災の問題の一環として取り上げるので、地方自治そのものがとても大きな社会的な問題なった時にはテーマとして取り上げることがありうると思いますが、榊原さんが探索されてもすぐには出てこないような状況ではないでしょうか。
個別のテーマに即して学術会議に接近するのは、学術会議の側からするとちょっと違うというような感じで対応しているのだと思うのです。つまり、多様な科学者が一堂に会することのメリットを使って学術会議として――この表現は菅首相が使ったので本当にどうしてそういう時に使うんだと思いますけれども――「総合的、俯瞰的」なテーマを取り上げて、科学者が全体として分野を超えて社会や政府に対して話を持ち出す、これが学術会議のミッションなので、個別のテーマは分野別委員会に分科会を作って取り上げるという形で対応可能ですが、そうでない場合には「学会でやってね」という考えになっているのではないかと思います。
最後にちょっと宣伝させていただいていいですか。今日ここに持ってきた1枚紙です。わたしが会長になる前、2004年の法改正で学術会議が新しいフェーズに入ります。第20、21期が新しいフェーズに入った最初の6年間でした。その最初の6年間、わたしは18期から継続して会員でしたので、その6年を総括する趣旨で、日本学術会議の役割は何かをまとめる文書を作ろうということになり、日本学術会議の機能強化について2011年7月に出した報告があります。
「日本学術会議の機能強化について」という報告の最後にこういう図を付けました(図1参照)。これはわたしが作ったのでなくしてわたしのアイデアを事務局でこういう図にしてくれたのですが――キーワードは「知の循環の駆動軸としての日本学術会議の役割」です。これは本当に自己中心的な図でして、日本学術会議が真ん中にあって、ここに全部「知」が集約され、そして集約された「知」を学術会議が色々な形で伝え、フィードバックする、そういう役割を日本学術会議に与えています。
図 1「知の循環の駆動軸」としての日本学術会議の役割
(出典)日本学術会議「報告 日本学術会議の機能強化について」(2011年)https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-h128-1.pdf (2026年2月13日取得)
これをなぜ示したかと言いますと、政府の介入が強くなった時、2021年に「日本学術会議のより良い役割発揮に向けて」と題する文書が出ます。この中で「ナショナルアカデミーの5要件」が示されます。この5要件は、全く当たり前の話で、現行法が保障している原則なのです。これをわざわざ言わなくてはいけなくなったということです。
2011年報告は、自己中心的に作った機能強化案です。法による保障を前提にわたしたちはこういうことができるようになったと言っているのですが、それが転じて学術会議は自分たちを防衛するそういう文書しか出せなくなった。これが今、日本学術会議が置かれた状況であり、とても残念に思っています。
反転攻勢できるかどうか、なかなか難しいと思いますけれども、反転攻勢しないと市民に対する日本学術会議の役割は本当に果たせないのではないかと思います。これからも市民の皆さんの応援がないととてもじゃないけれどやっていけない。ただ、学術会議の会員は市民の応援を期待して自分たちの活動をやるのだというような構えではありません。それは自分の経験からも分かります。自分たちの力でなんとかしようと考えてみんな活動しているわけですが、本当はそうではなくて、真理を探求するという科学者の活動が科学者を代表する機関の中でしっかりと確保されていくためには、そのことが大事だという市民の声がないととても難しいと思いますので、最後にこれを申し上げてさせていただきます。
榊原秀訓
はい、どうもありがとうございました。広渡さんからまとめのような発言をいただいたので、ここで終わってもいいかと思いましたが、せっかくの機会ですので何かご意見、ご質問がありましたら、よろしくお願いします。では、会場の2人の発言に限るということで、お願いいたします。
会場質疑
質問者:晴山一穂(はれやま かずほ)(福島大学・専修大学名誉教授)
どうもありがとうございました。色々訊きたいことがあるのですが、もう時間もないということなので手短に質問します。わたしは中野区に住んでいて、たまたま任命拒否の時に、市民、区民としても何かやらなくていいのかという声が出て、自然発生的に運動体ができ上がって、わたしがその代表みたいな形になって以来関わって来たのですが、わたし個人について言えば、大学教員ですが、学術会議という組織について本当に知らなかったのです。
わたしははじめ福島大学に行ったのですけれども、福島で1回、連携会員の――広渡さんが言った企画の1つだと思うのですが――講演会みたいなものがあって、協力してくれというのでやったことがあったのですが、学術会議というのはこういうことやっているのだと、その時に初めて知ったのです。
つまり、任命拒否の問題が起きてから、学術会議のことをわたし自身が色々調べたり学んだりして、学術会議の動向とか、色々読んだりしてきたのですが、学術会議という存在そのものが、特に大学の中で認識され、議論され、バックアップするような機会というのは本当にないのです。
これは大問題だと自分の体験を踏まえて思ったのです。例えば大学の教授会とか、教授会でなくてもいいのですが、そこで学術会議のことを議論するとか、あるいは学術会議から大学に、こういうことについて、議論まではともかく、知る機会を提供するといったことが本当にゼロなのです。わたしの体験からすれば、我が身の問題として捉える機会は本当になかったのです。そのことについて学術会議の方で、議論はなかったのでしょうか?
広渡清吾
地区会議は各地区の拠点大学が事務局をやってくださっていて、その時には何らかイベントがあるのですが、それ以外の通常のコンタクトはほとんどないかもしれません。会員公選制の時代には、会員候補者として出ますという時に、教授会で推薦をしてくださいというような話があったかもしれません。学協会推薦制になってから大学との関係が切れ、今はコ・オプテーションという学術会議の内部選考です。一般の科学者との連携は非常に薄くなっている。だから逆に本当に学術会議は日本の科学者の代表なのかという問題が出てくるのです。それをどうするか、わたしはこれからの学術会議の一番の課題じゃないかと思います。
選ばれた会員が会員の内側だけで議論すると、政府と一緒にやろうという圧力の下では、政府の科学者組織になってしまいかねません。そうではなくて科学者の総意で作られたのが学術会議だ、学術会議は科学者の代表機関だという、この原点がとても大事です。2025年法が前文を削除したことは、歴史的にみると相当に大きなことだと思います。この原点を学術会議は忘れず、自分たちは代表なのだという自覚だけでなく、その自覚を実質化するようにこれからやらないと、政府にきちんと対峙していけないのではないかと危惧します。晴山先生のご指摘はよくわかって、わたしもかつては「学術会議は何をやっているのですか、何の役に立っているのですか」と言っていました。
科学者全体と社会と学術会議をどう繋ぐかという課題が、今回あらためて問われました。今回の法案反対について「学者と市民の会」という運動がたくさんの団体を組織できて、法改正反対を最後までやり続けました。これは本当に歴史的で、画期的でした。学術会議が歴史的に悲劇的な状況を迎えたから国民の中にそういう運動が起こったのではないかと一方では思いますけれども、なんとかこれを切り抜けなければいけないとわたしは思っています。
榊原秀訓
それでは最後に白藤さん、お願いします。
質問者:白藤博行(しらふじ ひろゆき)(専修大学名誉教授)
今日はありがとうございました。わたしも、連携会員を2期か3期やって、その後、会員を2期やりました。今も連携会員なのですが、この間、任命拒否に対する抗議集会や学術会議問題関係のシンポジウムにはできるだけ参加してきましたので、理論的には広渡さんや岡田さんがおっしゃったとおり、「理は学術会議の方にあり」というように確信しております。ただ問題は、なんでこんなことになったのかという理由です。わたしの会員期間中に、いわゆる「デュアルユース技術」の問題が議論になり、「軍事的安全保障研究に関する声明」(2017年)でかろうじて食い止めましたが、それ以来、国の国防・安保政策と学術会議との関係のあり方が常に問題となって緊張が続いてきました。
一昨日(2025年12月19日)も、第二東京弁護士会主催の安保問題の勉強会があったのですが、そこで軍事に詳しい弁護士の井上正信さんが報告されました。彼によれば、最近日本の安保の方向性がかなり大きく転換をしていて、防衛力向上だけではなく、科学技術力、経済力を含む国力全体の向上に繋げてゆくという、米国流の安保保障分野の「エコシステム」の構築を目指していることが紹介されました。このような防衛のエコシステムという大きなサイクルを構築するというのが根本にあるとなかなか厄介な問題です。
したがって、学術会議任命拒否事件は、岡田さんたちを「犠牲」にして、このような国の安保政策に反対する勢力を一掃するということに目的があり、学術会議を特殊法人かして、国の関与を強め、民主主義科学者協会(民科)のような勢力を一掃すれば、一応目的達成ということになります。民科以外にも、歴史や宗教の専門家も拒否されているのは、他の分野の人文・社会科学の「あなたたちも例外じゃないよ」との警告でしょう。つまり、国の安保政策に反対しなければ金もつけてやるから、とにかく安保政策には従えという真意が見えます。ですから、民科勢力のようなものを一掃さえすれば、安保に都合の良い研究にたっぷり補助金をつけて、案外政府はうまくやっていくのではないかというようなうがった見方も可能ではないでしょうか。補助金で学術、とりわけ科学技術は抑え込めると高をくくっているように私には見えます。いかがでしょうか。
そうすると、今後の展望は、広渡さんが強調されたように、やっぱり本当の意味で社会に対して責任を持てるような組織することにありそうです。学術会議が、実質的自律性・自立性を確保することによって、政府から本当の意味で独立しているということをいえるような組織体にしてくということが重要だと思います。その意味では、学術会議の独立性確保の大きなチャンスと考えたいと思います。学術会議に対する攻撃を跳ね返すよいチャンスを与えられたと考え、この試練を乗り越えるように頑張りたいと思います。
広渡清吾
政府が学術会議をどういう方向に向かわせようとしているかということですが、やはり「科学者を全体として政府の政策の方向に使いたい」ということで、どの政府でもそうだとしても、2015年の安保法制反対運動が大きく効いたと思います。続いて2017年に学術会議が軍事的安全保障について、防衛省が進めている安全保障開発研究推進制度については慎重に科学者は対応しなければいけないという声明を出した。
これについて自民党のある議員は「我々にはそれがトラウマになった」――なぜトラウマという言葉が出てくるのかわかりませんが――という発言をしています。
先日、日経新聞(2025年11月29日付朝刊)に観測記事が出たのですが、来年の3月に第7期科学技術イノベーション基本計画が閣議決定される予定です。いよいよ第7期目に入るわけですが、科学技術の力により日本の安全保障を強化するということが正面に出てきます。その計画の柱は、科学技術と国の安全保障との有機的連携です。デュアルユース、軍民両用技術を推進し、かつその成果の社会的実装を進めるとされます。
それに際して日経新聞は、学術会議が2022年の7月に――梶田会長の時ですが――デュアルユースを「単純に二分することは困難」との見解を提示し、「これは従来の軍事研究をしないという立場を修正したものであると受け止められている」と、「学術会議は態度を変えた」と報じました。
この態度の変更を理由に、この(2025年)12月に神戸大学、信州大学が相次いでこれまでの学内ルールを改訂して、防衛省の安全保障技術研究推進制度に対する応募を解禁、禁止を解いたという報道が流れまして、実際に信州大学では反対運動が起こっているということです。
これは学術会議の2017年声明を基礎にして「応募については慎重にやろう」という学内措置を作った大学が「学術会議の態度が変わったので」といって、解禁に舵を切ったということなのです。
信州大学と神戸大学ですからそんなに小さな大学ではありません。2025年度のこの防衛省の応募研究には大学からの応募がとても増えました。政府の軍拡政策の下で来年度の防衛省予算は9兆円近く、GDPの2%に近くなります。お金が欲しいと科学者が思うと、どこにお金があるか――アメリカでは国防省の研究費が1番大きいのです。デュアルユースなので国防省からお金をもらっても自分は基礎研究やっていますということが言える。そうしたシステムの中で、科学者の研究の成果が軍事的に活用されていくという社会が作られていく。
学術会議も腹を据えないと軍事研究をしないという原則を堅持できないと思います。なんとかうまくやっていこうというようなことではとても対応できない状況が来る可能性がある。本当に科学者の社会的責任を果たそうとすれば、科学者個人が問われるという時代が来る。その時のことを考えて学術会議も対応しなければいけない。学術会議がどうこうするという話ではなくて、科学者個人がどうするかと迫られる時代が絶対に来るので、それをみんなで共有してなんとかしようと構えないととてもじゃないが今の状況にちゃんと対応できないのではないかと本当に心配しています。
文科省の科研費は、増えても2500億円を超えないのですが、防衛省の研究開発費が7700億円になると報道されている。特に工学系の科学者は「もう綺麗事は言ってられない」と思い始めるのではないかととても心配です。「全部が全部、軍事に使われるわけじゃないんだから、防衛省からお金をもらっても構わないのではないか」「自分の研究は基礎研究で軍事研究まで行かない可能性もあるんだから、そんなに気を使わないでお金もらったらいいのではないか」と。文系はお金がいらない研究をやっているからお金で引っ張られることはないかもしれないけれども、文系でもお金が必要な研究というのはたくさんあります。
本当は学術研究と軍事化の問題が1番の隠れたテーマなのだと思っていますが、今日のようなお話になりました。
榊原秀訓
最後に重要な問題に関わって「それぞれがどう生きるか」ということが迫られているような、問いかけがされたかなと思います。残念ながら、終了の時間になりました。オンラインを含めて多くの方々にご参加いただき、どうもありがとうございました。本多さんも、体調の悪い中での参加ありがとうございました。また特に広渡先生、この座談会のために、出席をしていただきまして、いろいろなことを勉強させていただいたかと思います。どうもありがとうございました。拍手で座談会を終わらせていただきます。(拍手)
「座談会・学術会議の存在意義を考える」に向けてのメッセージ
黒田兼一(人事給与研究会、明治大学元教員)
本日は別件と重なってしまいまして、残念ながら出席できません。そこで、この学術会議法人化法案阻止運動に関わってきた一人として、一言発言させてください。
私は古くから学術会議に関心を寄せてきました。というのも、ずっと昔のことですが、大学院生であった時、1度か2度、会員選挙の時に関わった記憶があるからです。かつて「学者の国会」といわれていましたように、学者の卵だった大学院生にも投票権があり、自分も学者の仲間入りしたんだと実感して、嬉しいやら面(おも)はゆいやらの経験をしたからです。
この経験は、学者の「卵」たちにとって、法人化される前の学術会議法の前文に「科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とする」という一文を身震いしながら自分事として実感させるものでした。因みに、この前文は新しい法では削除されています。
学問・学術は平和と福祉に貢献するもの、この考え方は、自覚しているか否かを問わず、研究者を目指す者にとっては身体に染みついているものでした。それが無くなるわけです。
ご存じのように学術会議は設立された翌1950年には「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」という声明、67年にも同種の声明、さらに2017年には、これら「二つの声明を継承する」こととし、「研究成果が軍事的に利用される可能性のある研究」は「慎重な判断を行う」必要があるとの声明を出しました。
学術会議を法人化して政府の機関から外すという今回の改正の大きな(そして最大の)ねらいは、この軍事研究問題にあったことは明らかだと思います。そのためでしょう。法人化が決定された途端に、防衛装備庁の「安全保障技術推進制度」(研究助成金支給制度)に応募する大学が急増しました。つい先日も、信州大学がこれへの応募を解禁したというニュースが飛び込んできました。文部科学省の研究補助費が大幅に削減されている中で、この防衛装備庁の研究費は「背に腹は代えられない」のかもしれませんが、「再びの道」を歩みかねません。
学術会議法人化法が強行され、歯止めが消失してしまったかのようです。軍事拡大への現政権の前のめりの姿勢もあって、いよいよ学術研究を丸ごと軍事研究へと進んでいってしまいそうで極めて心配です。
本日の座談会でも議論されるでしょうが、法律としては法人化されてしまいましたが、それをどのように運営していくかの中身はまだ未確定の部分があります。正式発足は来年秋です。それまでの間、しばらくは、学術会議が国民から理解され信頼される存在になるための努力は可能です。現学術会議の会員のいま少しの努力を期待し、またその外側にいる私たちも関心を持ちながら見守り、必要な支援を強めたいと思います。
[1] (a)学術的に国を代表する機関としての地位、(b)そのための公的資格の付与、(c)国家財政支出による安定した財政基盤、(d)活動面での政府からの独立、(e)会員選考における自主性・独立性
[2] 学術会議法附則第9条3「内閣総理大臣は、附則第三条第一項及び第四条並びに前条第一項の規定による権限を設立委員のうちから指名した者(優れた研究又は業績がある科学者であるものに限る。)に委任する」





