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【その他15】 志木市の「住民協働」を考える 研究機構主任研究員
行方久生
問題の所在 行政の縮小と地方行革
2月22日付の日本経済新聞は「住民力を高め小さな自治体をめざせ」という社説を掲げた。
そこでは、三位一体改革による自治体の予算編成における財源不足を指摘しつつ、「住民が要望や不満をぶつけているだけでは、行政は肥大化するばかりだ。住民が自分たちでできるものは自分たちで担うという自治の原点に戻る必要がある。すでに計画づくりなどへの住民参加は進んでいるが、公共サービスの仕事も住民やNPO、企業などと分け合えばいい。埼玉県志木市は最終的に職員50人体制に縮小することを目標に、市政へのご意見番として市民委員会を設置するとともに、D行政パートナーEと称する市民ボランティアに次々に業務を委託している。愛知県高浜市は市出資の株式会社に窓口業務や公民館の維持管理、給食、清掃など幅広い業務を委託し、220人以上の雇用を生んでいる。……D住民力Eを高めながら、行政を小さくしていく。これからの地方の行財政改革の基本である」と述べていた。 ここでは、志木市の取り組みについて、行政の縮小を指向する今後の行財政改革の先行モデルと位置づけているわけであるが、その実態・背景について、今日の自治体を取り巻く情勢のなかでさまざまな角度から検討してみたい。 「25人程度学級」(志木っ子ハタザクラ・プラン)の衝撃
志木市が全国的にその名を知られるようになったのは、おそらく、全国初の「25人程度」学級の導入であろう。地方分権一括法の成立により、01年4月に「公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律」が改正され、公立小・中学校において40人未満の弾力的な学級編制をすることが可能となった。志木市では学級崩壊やいじめ・「不登校対策」、学力の向上を目的として、小学校1・2年生における少人数学級導入とその財政支援を、埼玉県知事・県教育委員会へ要望していたが、これが実現したわけである。 02年4月より、志木市の8小学校で「25人程度」学級が1・2年生を対象に開始された。この結果、40人定数の場合1学級平均29.3人となるところが、23.4人となった。穂坂市長は、「現在の40人学級と比較し、少人数学級の方が、学力向上の効果が高く、教諭と子どものコミュニケーションやクラスの雰囲気も良くなる」「やはり教育は、人的にも手厚くすることによって効果が現れる」と胸をはった。これによって、学級数は10クラス増加し、それに必要な教員は臨時教員として募集することになった。志木市臨時職員募集要綱(「志木市臨時職員の任用等に関する要綱」)を見ると、基本賃金が月額約23万円(1500円/時間)、その他に賞与(12月支給)および諸手当が支給される。勤務時間は8時30分から17時、有給休暇日数は年10日間となっている。ホームページの「教員募集」の呼びかけを見ると、「志木の街の子ども達に、D子供が大好きで、教えることが好きなEあなたがぜひとも必要です」とボランティア精神に強く訴えてかけていることがわかる。 学級の人数の弾力化という地方分権を活用して、少ないコストで少人数クラスを実現したというわけである。志木市の「教育改革」はこれにとどまらない。「学習意欲」があるにもかかわらず、長期欠席の不登校状態にある児童・生徒に対し、教育権に基づく学習機会を保障するため、学習の場を学校以外にも広げるという主旨で、「ホームスタディ制度(サクランボプラン)」の導入も行った。これも「有償ボランティア」を募集した。 また、この4月から中学校の「通学区の自由化」を2段階で進めるとしている。志木市の立地条件(4km圏内に4校)を生かして“志木市ならでは”の自由化というわけである。いわゆる学校選択制は、東京の品川区の例などが知られているが、自治体によっては、特定の「不人気校」が廃止に追い込まれる、学級編制ができないなどの「弊害」も危惧されている。児童・父母を「顧客」 と捉え、 教師・学校が競争することによって、「よりよい教育」を実現できるとする論理であるが、教育に対する自治体の基本的責務を軽視するものとして批判も多い。 志木市の場合、「すべての中学校で必修教科は今まで通り学び、さらに選択教科等で、国語を重点に置く学校、数学を重点にする学校などと学校教育内容の特色を提示」することを「選択性」のメリットとしているが、早期選別・選択の是非が十分に議論される必要があり、今後の動向が注目されるところである。 「いろは遊学館」複合施設の発想
志木小学校を訪れると、学校が図書館(いろは遊学図書館)・いろは遊学館と一体化しているのに驚く。それぞれの施設が2階でつながっており、下校する生徒は下履きに履き替えると、元気よく走って図書館の中に吸い込まれていく。筆者が、階段の下でウロウロとしていると、5年生か6年生の生徒が「図書館に行くの? それじゃ、階段をあがると警備員さんがいるから、名札を貰って首にかけてから中に入ってね」と話しかけてきた。見知らぬ大人との会話ができる生徒が少なくなっている昨今、この複合施設の性格と関係があるかもしれないという予感をもった。 この施設は、志木市のホームページによれば、「子どもから大人までがいっしょに学べる生涯学習の場や、地域におけるコミュニティーの拠点を目指して、建設されました。……児童にとっては、日常的に地域の人と触れ合えることで、社会性が形成されるという、長所があります。そのような環境の中で、子どもたちをD地域ぐるみEで育てていくことを実践していきます」とある。 関係者のお話を伺った。この複合施設は、前市長の任期中に実現したもので、全国的にもめずらしい施設だという。住民の要望が強かったのだろうと質問をしたところ、意外にも「放課後の児童の安全」という問題から、住民の中には反対運動すらあったということである。確かに、放課後に生徒が一般の大人と、保護者の目の届きにくい場所で一緒に過ごすことは、危険な側面がある。 この施設でも、名札を配るのは行政パートナーであり、子ども読書会などを行う人々はボランティア、カウンターには非常勤職員もいる。お話を伺った関係者は、「自分としては、自治体が子どもや、人権問題、社会教育に責任を持つという観点から、行政パートナーの導入には反対した。しかし、発足した現在は、よりよい制度にしたいと問題をひとつひとつ解決する立場です」と語った。穂坂市長の「有償ボランティア」路線に対して、足下の関係者からの「異議」申し立てに遭遇した。 しかし、筆者が子どもに案内されてたどり着いたことを話すと、「やはり、子どもを地域の中で育てることは大きな意義があります。読書会などの効果が出ているのでしょう」と顔をほころばせた。 教育委員会のD廃止E?
構造改革「特区」制度で、志木市が教育委員会廃止の申請をしていることをご存じの読者も多いだろう。「廃止」と言っても「必置義務」を外して「置くことができる」という規定に変更する趣旨である。確かに、現在の教育委員会制度は「人事権のある市の教育委員会には任免権がなく、県の教育委員会には任免権があっても実情が分からない」という批判があることは事実であろう。また、行政委員会としての自立性が有効に活用されていない状況があることは、ある程度の共通認識になっている感もある。しかし、「教員の人事・任免権」を現場に近い所に分権するという理由で、校長の教員への管理強化や、教員への企業研修の強要などを行うことは、行きとどいた教育や民主主義の理念に反するものと言わざるをえないであろう。 憲法と教育基本法は、教師が「国民の教育を受ける権利」に直接責任を持つことを規定している。自治体は住民自治のための組織であるが、同時に「統治体」でもあり、地方行政権としての権力性も併せ持つ。国にしても、自治体にしても、教育への直接の介入をさける必要があり、教育委員会制度は、本来、こういった憲法の精神を反映したものである。教育委員の公選制や、住民参加によって独立機関としての性格を民主的に発展させる必要があるのではないか。 選挙における「市長の公約」によって、直接に教育が左右されるような事態は、憲法・教育基本法の予定していないことである。「住民との協働」を進めるにあたっても、教育の「権力統制」へのチェック機構は制度的に保障されなければならないだろう。 これは、志木市の取り組みが即「危険」であると言うのではなく、行政委員会制度の本来の趣旨を踏まえて、改革する必要があるということである。 志木市の教育改革は、リカンレント制度(社会人の再教育)やボランティアによる受験支援など、ユニークで支持できる点が多いし、図1のように市の財政に占める教育費が近年増加している点も事実として指摘しておきたい。それだけに、憲法・教育基本法に基づく、太い流れを発展させて欲しいと念願するのである。 D行政パートナーEとは?
D志木市・地方自立計画E(未来を切り拓く新たな住民自治への挑戦平成15年2月)という冊子がある。「計画の理念と目的」をみると、次のようになっている(要約)。 (1) 少子高齢化・国の財政危機・自治体の「出先機関化」の現状を受け止め、右肩上がりの20世紀型システムから右肩下がりの「21世紀型地方運営システム」への転換。 (2) 「村落共同体」を想い起こし、「市民が市を運営する」ことを原則に市の業務を市民(行政パートナー)及びNPOに委ね、サービスの対価として、支払った「市税」の一部を市民に還元し、ローコストの志木市を確立する。 (3) 市民と市の一体化を図ることによって濃密な地域コミュニティーを創造し、憲法が保障する「地方自治の本旨」である真の「住民自治」を実現する。創意によって財政的にも自立する「志木市」を構築する。 (4) 基礎的自治体は「公務員」によって運営されるという前例を壊す。「第3の組織(市民との協働)」が目標であり、合併した場合でも「自立計画」は必要である。 (5) 業務参加する市民(有償の行政パートナー)は、単なる労働力として参加するのではなく、「社会貢献活動」と位置づける。 さて、行政パートナーは「市民公益活動団体」に加入して、市と契約(「行政パートナー協定」)を結び、「行政運営の協働者」として仕事につくことになる。正規職員を行政パートナーに置き換えていくわけだが、長期的には市の職員は50人(行政の担当40人と専門職10人程度)とする方向が明らかにされている。「当面」は4期に分けて、平成15年から平成33年まで、18年間かけて計画的に実施するとされている(図2参照)。 この計画が達成されると、正規職員が301人であるのに対し、行政パートナーは523人となる。そこで、少し具体的に行政パートナーへの置き換えについて見ていきたい。まず、正規職員を削減する必要があるわけだが、これは、退職不補充を基本とする。穂坂市長は、「現在の職員には責任がある」「こういうややこしいことをするのは、単なる行政の効率化ではない」と述べている。つまり、長野県や秋田県をはじめ、全国で流行している28歳とか30歳の「職員の早期退職勧奨」などは行わないということである。 このように、理念としてはあくまで「市民参加」「市民協働」が基本であるので、安易なリストラとは「違う」ことを強調されているわけである。 どうやって、行政パートナーに置き換えるのか?
そこで、正規職員を行政パートナーに置き換える「システム」について検討しておこう。D志木市・地方自立計画Eには別冊があり、D計画対象業務の分類一覧表Eと記されている。表紙には、「検討業務数1648、対象業務842、対象外業務806」と記され、対象業務については第1期164、第2期209、第3期328、第4期141とされている。つまり、対象業務とされた仕事を順次、退職者の状況を見て、異動等も工夫しながら、4期にわけて行政パートナーに委託することになる。 市長および担当課職員の話では、この「対象業務と対象外業務」の振りわけは、各課・係で議論をして結論を出したとされている。「導入不可」の一覧を見ると、その理由として掲げられているものは次のようになっている(カコミ内が例示)。 (1) 地方自治法171条(出納員)172条(吏員)に基づく吏員でなければならない (2) 個人情報保護、守秘義務及び専門性、専門的知識・経験を要するもの (3) 課税事務など、長が任命する吏員以外に委任できないもの (4) 社会福祉法、災害対策基本法、消防組織法、水道法・下水道法などの個別法の規定によるもの (5) 行政内部の事務 (6) 業務委託に適さないもの これらを見ると、例えば個別法によって職員(吏員)の配置が求められる仕事などは、その個別法自体が改正された場合、「対象業務」に変更されるのかどうか不明であるが、これはここでは問わないことにしておこう。 そこで、注目しておく必要があるのは、法的に可能性のある「全ての仕事」を対象業務に入れているわけではないことである。例えば、「保育園」の項目を見ると、入園に係る事務、児童台帳作成・保管、保育士時間外勤務・一時保育、保育園運営、調理の指導・研修などが「業務委託に適さない」とされている。「学童保育」においても、入所、保育料、学童運営などが「業務委託に適さない」という判断になっている。また、学校の教育課程・学習指導・進路指導・教育相談などは、「個人情報に関する」ものとして対象業務からはずれている。この他にも、公民館の図書室管理なども「司書資格と専門知識が必要」に分類され、対象業務とされていないことなどが注目される。 なお、「市立救急市民病院」などの事業体についての今後の方向については特段に述べられていない。 一方、「図書館資料の収集、整理、保存及び利用に関すること(督促)」などが「守秘義務及び専門性を必要とする」と「導入する場合の問題点」に触れられているにもかかわらず、対象業務に入っていることなどには、疑問があろう。 公民館の施設の利用等の管理的業務や学級・講座、図書館のカウンター・書架管理などが第1期に掲げられており、現在の市役所の「窓口案内」や郷土館の受けつけなどから、順次行政パートナーに委任を拡大して行くことになっている。 検討課題と問題点
上記の議論や振りわけは、「指定管理者制度」などが発足する以前のものであるため、これが「今後」も永続性をもつか否か不明の部分がある。 いずれにしても、行政としての説明責任が果たされなければならない。 そこで、今後問題になるであろう諸点について、項目的に述べておくことにする。 第一は、行政パートナーの労働条件である。 市として行政パートナーを募るが、個人との契約は結ばない。複数の個人をまとめて「市民公益活動団体」(団体として登録する)をつくり、その代表と市が「志木市市民との協働による行政運営推進条例」に基づいて「パートナーシップ協定」を結ぶわけである。有償ボランティアと言われているが、時給700円(埼玉の最低賃金は昨年10月1日現在、678円/時間であるから、かなりの「低賃金」ではある)であり、1日8時間働いて(月20日)年間135万円という水準になっている。実際には、登録団体がやりくりして、各人は週に2日・半日勤務というように、交代で勤務をするために、月の収入は2万円といった水準になっている。正規職員を行政パートナーに置き換える基準は、正規職員の1.5倍を目途にしているが、この数倍の登録が必要なわけである。 行政パートナーの大半が、高齢者であるため、実際にどの程度労働条件に関する問題が発生するかは不明であるが、「パートナーシップ協定」や「業務委託協定」などを見る限り労働条件の明示はないが、時給はあらかじめ700円と予定されており、契約時に交渉の余地はなさそうである。 市当局は「行政パートナー」はあくまでボランティアであり、市との雇用関係・労使関係は生じないとしている。あくまで「市民公益(活動)団体」との契約であり、労働条件はその内部問題であるという認識であろう。現時点で、この「市民公益活動団体」にNPO法人などは参加しておらず、人格なき社団レベルのものであり、実質的に個人の「よせ集め」が中心となっている。「行政パートナー」を構成する個人に着目した場合、労組法3条や労基法9条に規定された「労働者」としての面を否定できないであろう。 労働災害の発生や、労働条件についての議論などを考慮した場合、市当局と「行政パートナー」個人の関係について、つめた議論が必要となるであろう。 第二は、行政パートナーの「労務管理」である。 これは、第一のコロラリーであるが、現在でも「市民委員会」や行政パートナーの活動について「市民活動支援課」の職員は、かなりの休日出勤や残業を行っているようである。これはあたり前の話で、行政がまったく関知しない市民活動とは異なり、行政の一部として市民が活動を行うわけであるから、行政(職員)がノータッチというわけにはいかない。将来的に、正規職員を上回る行政パートナー数になった場合、その管理業務はかなりの水準になろう。 第三は、現時点では、市役所の案内とか、一般の市町村でも民間委託をしているような業務が行政パートナーの仕事になっているが、これが次第に行政の「コア」に進んだ場合、円滑に質・量を確保できるかどうかという問題である。志木市では、こういった不安を前提として「任期付短時間公務員制度」などの「特区」を提起してきたが、第1期、第2期あたりで、その計画の是非そのものが市民的議論の俎上に上ることになろう。第3期には、水道料金の徴収に係る多くの仕事が「守秘義務・プライバシーの担保」を条件に委託業務となり、第4期には人事管理や年金業務なども「個人情報の取扱・守秘義務」「業務委託に適さない」と問題を指摘しつつ委託を行うことが予定されている。 はたして18年間の計画が順調に行われるのかどうか大きな疑問がある。特に、市長の持論である「市長は2期が限度」という発言を真に受けるとすると、計画の責任をどう担保するのであろうか。計画が途中で挫折した場合の責任の所在も問題であるが、アドホックなリストラを行っただけという結果になる可能性も十分にあろう。行政パートナーは、その「低賃金」から高齢者に限定されるであろうが、職員も高齢化し、全体として活気あふれる行政になるのかどうか、疑問を払拭できない。 志木市の「住民協働」をどうみるのかNPMとの関係など
なぜ、このような「自立計画」を行うのであろうか。確かに、年収850万円程度の正規職員に比べて、年収135万円の「有償ボランティア」(行政パートナー)でそれを代替できるなら、財政的にはかなりの効率化を図れることは自明である。このプランの背景には、「25人程度」学級を紹介したように、意欲的な側面もあることは否定しない。しかし、大局的に見ると、その背景は、高齢化に対応する新たな行政施策(特養ホームの新設、国保・介護保険への一般会計からの繰りだしの増嵩など)への対応と、国の財政的な締め付けからくる「市財政の危機」への消極的・否定的な対応という側面が強い。 有償ボランティアの低労働条件への批判に対し、穂坂市長が「この財政危機の下で、他に手段があれば、教えて欲しい」と述べていることからも、「消極的対応」と評価することは間違っていないだろう。同時に、穂坂市長は「確かに、この賃金では現役の人は無理。しかし、将来は労働条件をもう少し引き上げ、年収で300万円、400万円となれば、ワークシェアリングに持って行ける」と述べている。そういう方向を期待したいものである。 さて、ここで、この志木市のユニークな行政改革を全体としてどう見るかという問題について、若干の検討を行っておきたい。 一般的に、資本主義の独占段階においては、議会が単純に「資本」の代表という状況ではなくなり、国家行政機関を通じて官僚機構によって行政が担われる傾向が拡大する。戦後においては、労働者の社会的統合が国家の必須の課題となり、議会における労働者代表の拡大も相まって福祉国家が形成されるが、それは中央集権的な官僚機構の拡大をも意味した。 国際的にみて、1970年代末から開始され、「冷戦崩壊」以降の90年代に大きな時代の流れとなった新自由主義的国家再編は、この福祉国家の「解体」を指向するものであったが、同時に、それを担ってきた官僚機構にもその矛先を向けた。日本においては、福祉国家基盤の脆弱性を企業が肩代わりする「企業社会」であったが、福祉の未熟性を「開発主義的」政策による所得再分配によって補完してきた経緯がある。いわゆる革新勢力は、この高度成長路線を前提とする「開発主義」に反対し、それを担ってきた官僚機構に反対するという「傾向」が強かった。行政への住民やNPOの参加を、革新勢力の一部を担ってきた「市民派」と、福祉国家の解体をめざす新自由主義とが「一致」して要求するのは、こういった日本の状況をも反映していると思われる。 さて、アングロ・サクソン系の国(イギリス、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなど)を中心として、福祉国家の拡大による財政基盤の脆弱化を、民間経営の手法を行政に取り入れることによって解決しようとする流れが強まってきた。 いわゆるNPM(ニューパブリック・マネージメント)は、こういう福祉国家の再編をめざす経営主義・企業主義的運営の手法としての本質を持っている。大住荘四郎は、NPMについて、 (1) 業績/成果による統制 (2) 市場による統制 (3) 顧客主義への転換 (4) ヒエラルキーの簡素化 という4つのコンセプトをその「核心」として指摘している。 しかし、近年では、このNPMの姿も進化しているとして、住民参加・NPOとの協働などの「外部マネージメント」を重視した改革を包含するようになっていると述べている(大住DNPMによる行政革命E、大住他D日本型NPMEなどを参照)。これは、このパートナーシップ論(PPP=Public and Private Partnership)とNPMの共通性、すなわち、中央政府(地方政府)の権限の縮小・分権・分散や、公共サービスの供給に民間企業を含めた団体の参入を求めることなどに着目をするわけである。しかし、住民参加やNPOと行政との協働などは、上記の顧客主義とは明らかにその性格が異なる。 「公」と「私」の二分法から、その間に「新しい公共空間」を創設するなどの主張が、新たな装いのもとに語られるようになってきている。「公共」とは、「公」と「共同」に分解されるとか、公正性と効率性の間に「第三の道」的な方向を求めるなどの議論もこれらに含まれる。 いずれにしても、「公」を独占してきた行政・国家に対し、市民社会がその一部の「解放」を要求し、新しい「公共圏」をつくることによって、官―民の役割分担が再編されていくという議論になるわけである。 したがって、このPPP論は、これまでの民主主義のあり方、すなわち、行政と市民、行政と議会などの関係にも影響を及ぼすことになる。しかし、この住民参加という民主主義の発展に連なる問題を、NPMという行政の経営主義的な手法の内部に単純に取り込むことはかなりの無理がある。 志木市が「特区」に申請している「シティマネージャー制度」は、現行の首長と議会の二元制を廃止し、議会によってマネージャーを選出する方式であり、住民代表としての首長の性格を変化させる。そして、ここでは、マネージャーは議会に委任された経営者として、住民を「顧客」とみて、行政改革を推進するものと位置づけられる。首長の行政執行を議会がチェックするという、「相互作用」が弱まる分、行政改革の推進に合理的という認識である。つまり、このNPM的制度は、住民参加・協働という「参加論」による民主主義制度とは矛盾を内包する。つまり、志木市の提起する政策も現実の志木市の行政と少なからぬ矛盾をもっているわけである。 一方、住民協働と市民社会における討議や運動を重視する立場から、国家による公共性の「独占」に対抗する、「市民的公共性」の確立をめざす議論も90年代以降、活発になっている。これは、ハーバーマスによる「協議(討議)民主主義」の強調など、民主主義のリニューアル論等を広く含むものでもある。 このように見てくると、NPMと住民参加・協働という、ある種の共通性をもつ問題について、それを内在的な性格によって腑分けする必要があることがわかる。そして、「公共性」の内実を事実・実態に則して分析し、憲法の民主・平和諸原則や「地方自治の本旨」の精神に沿った方向をめざす必要がある。 志木市の住民協働においては、一般的なNPM手法である、病院の民営化であるとか、保育園等の公設民営・民営化、さまざまな行政の民間企業へのアウトソーシングといったものがほとんど見あたらないだけに、住民参加・協働とNPM手法の矛盾を摘出することは、いっそう重要であろう。 志木市では、「市民委員会」の設置によって、予算編成をはじめ、環境、教育、福祉、企画などさまざまな分野の取り組みが進められている。予算編成などにおいても、ただ「何を削減できるか」といった行革視点だけではなく、日常の市民感覚によるチェックや、その意見がどう尊重されるのかなどについて議論を進める必要がある。「市民委員会」といっても町会役員などに「依頼」して、選出されている実態等もあるので、実はその「市民代表性」はそれほど高くない。こういう問題を厳密に点検し、市民の要求が議会や行政を通じて把握され、それが政策・施策となる段階で市民的にチェックされるという民主主義のプロセスを確立することが重要であろう。行政は、「主体的」に行政に「もの申す強い市民」だけではなく、独居老人などを含め、行政の動向について熟知しない階層の要求を、制度的に掬すくい上げるシステムを確立しなければならない。これは、住民参加論の陥穽でもあるが、「参加」や「協働」自体も、「公共性」論の立場から点検されなければならない、ひとつの根拠でもある。 穂坂市長は「高浜市とは違う」と、声を大にして強調しているが、単なる「安上がりの行政リストラ」に堕することがないよう願うものである。 志木市の財政のレベル
志木市の財政について、D自立計画Eでは、今後の高齢化によって、大きく税収を低下させ、高齢化による歳出の増嵩を到底まかない切れないという認識である。確かに、三位一体の改革等によって、今後、地方財政は「危機」というより、「計画倒産」の様相を呈するであろう。しかし、市はその実態を住民に明らかにすることによって、市民とともに立ち上がる必要がある。穂坂市長に、その意思が見えないのは、誠に残念という他はない。 志木市の財政の不安要因は、この政府由来の問題を除くと、下水道の累積借金の動向や、過去の公共事業(土木費)の起債償還問題等、かなり限定をされる。病院は現時点では、それほど大きな問題はなく、直営での維持が十分に可能であろう。 一般会計においては、この10数年の税収は安定しており、人口の社会増もあり、D自立計画Eにおける市税の急減予測は根拠が不明である(図3、図4参照)。歳出では、普通建設事業費も一時の37.2%(91年)から11.6%(2000年)まで低下しており、起債の償還問題以外に不安材料はない。人件費も27.5%から低下を続け、22.8%になっている。念のために、図5によって普通建設事業費(単独事業と補助事業)及び対歳出比の推移を見ておこう。91年、97年、99年に普通建設事業費が急伸しているが、これは補助事業の予算化によるところが大きい。合体として、これまで単独事業のウエイトが大きいので、当分の間、大きな「ハコモノ」単独事業を抑制することによって、安定した財政運営を期することができる。 小泉構造改革による「財政危機」の演出問題を、どのように住民に「説明」するかという問題を抜きに、制度改悪の「弊害」を無条件に「計画化」することは、自治体のあり方として適切とは言えないだろう。 (なめかた ひさお/『自治と分権』第15号、2004.4) |
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