NO.12 2001.1.30
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地方自治問題研究機構は、自治労連国民運動局と共同して、昨年秋から年末にかけて「高齢者介護に関する住民生活調査」に全国5地方組織・11単組(支部)の協力を得て取り組みました。以下に紹介するのは、昨年9月29日に開催された吹田市職労(大阪)の学習会で、研究機構・地域福祉研究会に参加されている横山寿一さん(金沢大学教授)にご講演をいただいたものです。なお掲載にあたり、その後の新たな状況をふまえ、若干の修正を施していただきました。(編集部)
介護保険をめぐる全国状況と改善課題
横山寿一(金沢大学教授)
はじめに
この調査は、直接には、自治労連の地方自治問題研究機構の中に、地域福祉研究会をつくり、その中で議論をし、準備をしてきたものだ。調査を実施する前に、できるだけ具体的な状況についても認識を共通にしておこうということで議論をしてきた。介護保険の仕組み自体が、大変大きな問題をもっていて、このことからくる、利用者に対する負担の問題、サービスの低下等、いろんな矛盾が出てきている。同時に、この介護保険が実施されて、そのことにともなって、介護保険の対象でないものは、切り落とされていく。行政のとりくむ福祉の問題として切り落とされていくという側面がある。そうではなくて、やはり地域全体を見据えて、生活全体をとらえ、そこに生まれてくるさまざまな課題を全体として解決をしていく。そこに福祉行政の大きな意味もあるし、自治体の本来的役割もある。そういうことをあらためて問い直していく必要があるのではないか、こういう議論をしてきた。
調査票を見ていただければわかると思うが、直接、介護保険サービスにかかわる分野だけではなくて、むしろ高齢者の生活をできるだけ多面的にとらえていくことにもかなり力点をおいた調査になっている。逆にその分だけ、介護保険に直接かかわる部分は限定せざるを得なかったという面がある。この調査を核にしながら、それ以外にも、実際の提供にかかわっているケアマネージャーや、行政担当者の方々、これらも含めてヒアリングを行い、できるだけ立体的、総合的に今の状況を明らかにしていく。その中で、介護保障のあり方、介護保険の具体的改善の課題を明らかにし、提起し、運動に寄与していきたいと考えている。この調査の意義を改めて確認するという意味で、少し全国状況にもふれながら、今どんな風な状況になっているのか、また、今の介護保険の状況から、どのようなことが運動として求められているのかということについて、ざっとお話させていただきたいと思う。
1、介護保険実施をめぐる状況
介護保険については、文字通り様々な形で問題が上がってきて、それぞれ集約され、改善の取り組みへと結びつけられていっている段階である。それらをいくつか整理してみたい。
1)介護水準の低下
介護保険がはじまって、新たにサービスを受け始めた方、そのことによって、家族介護の負担がある程度軽減された方ももちろんおられるが、それをはるかに上回る規模で、サービス水準の低下が生じているというのが、無視できない特徴だ。介護保険がスタートして、介護保険のもとでの新しいルールや仕組みにもとづいてサービスが提供されることになった。これまでの高齢者福祉の分野に、新しい仕組み、新しい基準が持ち込まれたことによって、今までサービスを受けていた人たちが受けられなくなる、あるいは今まで受けていたサービスが、そのままでは確保できなくなる、新たに負担が求められる、こういうことがいっぱい出てきている。制度の改正によって不利益をもたらさないというのは、制度の仕組みを変えていくときの大前提なのだが、介護保険の場合は、制度が変わったので利用できませんということで、広範な不利益、権利侵害と言ってもいいような状況が生まれてきている。このことが一番大きな特徴であり問題だと思う。
たとえば自立と判定されて、利用していたサービスが継続できないというケースがかなりたくさん出てきている。ただこのことについては、特別対策に自立生活支援が盛りこまれたことから、中身は多少違うけれどもカバーできているという面もあるにはある。しかし全国的には、自立生活支援のサービスを実施しているのは、厚生省の調査でも大体6割くらいにとどまっている。したがって、介護保険をきっかけにしてサービスが打ち切られるという状況が出てきている。
それから認定された要介護度が低くて、限度額の枠内では、今まで利用できていたサービスが確保できないといったケースも生じている。さらに、これは全国的に大変大きな問題になっているが、利用料が非常に大きな重荷になって、限度額いっぱい使わない、使えない、今まで使っていたものよりも減らす、利用そのものをやめてしまうなどのケースも出てきている。また別の面では、量的にはサービスを確保できたけれども、質的に低下したという事例がでてきていることも無視できない。たとえばデイサービスを週3回希望したが、特定の曜日に利用が重なったため、同じデイサービスセンターに週3日通うことが難しいということで、2日同じところに行って、1日は別のところに通う。それでかろうじて週3回確保するようなケースも出てきている。私の住んでいる金沢では、週3回デイサービスに通っている高齢者の中に、3回とも全部違うところに行っているケースがあった。
ショートステイは、ご承知のように、利用の枠がはめられたことで、使えない人がいっぱい出てきている。しかしそれでも使わざるを得ないということで、とにかく自己負担でもいいから何とか使わせてほしいというケースもたくさん聞いている。
それから、今ちょうど介護認定の更新の時期だが、先日、富山で話を聞いていたら、更新によって、当初の要介護度から下がったというケースが、かなりたくさん出てきているそうだ。たとえば要介護度が3から2に低下したケースというのは次のような場合だ。つまり、最初の一次判定、コンピューター判定で2と出た。そして認定審査会でいろいろ議論をして、2でなくて3だろうということになり3と認定した。その人に更新の時期がきて、再度一次判定にかけたら、前回と同じく2と出た。しかし、基本的には前と同じ合議体で認定はしない仕組みにしているから、別の合議体が今度は担当する。できるだけ前の結果にとらわれないで認定を行うようにしようと、担当の合議体を変える自治体がほとんどである。その別の合議体では、一次判定の2という結果について特に議論にはならず、まあ2でいいだろうということで2と認定した。こうして結果的に介護度が下がるという状況が生じた。以上のようなからくりだ。前の合議体で、何で3にしたのか、なにを根拠にして、どういうところを重視して3にしたのかという資料はまったく回していないからこういう事態が生まれる。そこが問題だ。
自治体によっては、すべての合議体で同じケースを使って認定を行い、その経験を繰り返すなかで合議体間で認定の標準化を進めるという努力をしているところもあるが、しかしやはり、人がみるものだから、完全にするのはなかなか難しい。介護度が下がってしまった場合、サービスが実際にそれだけ少なくて済むようになったのであれば問題ないが、そうではなくて、同じだけのサービスが必要であるにもかかわらず、今まで利用できていたサービスの量が確保できないというケースが少なくない。そこが問題だ。
施設に関することは、いろいろみなさんも経験されていることだが、特養に入っている人が入院したりすると、特養に戻れなくなるケースがある。現に金沢でもそういう例があった。そうなると、入院しなければならない状態であるにもかかわらず、特養に戻れなくなるからということで、医者が入院を勧めても我慢して入院しないという人も出てきている。施設に入れば安心かというと、そうでもなくて、老人保健施設などは、特養老人ホームと位置づけとしては同じになったが、施設の意向によって、長期の入所でもかまわないところと、回転を早くするために短期で退所させるところと、両方に分かれて始めている。そのなかで、とくに介護度の軽い人は、施設にとってもあまりうまみがないということで、"十分在宅でも大丈夫"といわれ、事実上追い出されるような形で退所を迫られるようなケースも出ている。形はいろいろ違うが、これらもサービスの低下のひとつの例である。2)負担の増大
負担の増大についても深刻である。これまでは、サービスを無料またはわずかの負担で受けられたケースが非常に多かった。それが、数倍の負担に一気にはね上がる人が続出している。また、介護保険で足らない部分、とくに介護度の低い人たちや、逆に在宅で重度で、普通なら施設へ入るケースだが、在宅でがんばっているケースでは、限度額をはるかに超えてしまう。金沢では、次のような例がある。寝たきりで痴呆のお母さんと二人暮しで、今まで、使えるサービスは可能な限り使って、何とか在宅で対応してきた。介護保険がはじまるときに、そのとおりのサービスを確保しようと思ったら、自己負担が20万を超えた。いろいろやりくりをして7〜8万円に抑えたが、それでも3倍以上になった。このように、介護保険の枠の中だけではカバーできなくて、多額の負担でかろうじて在宅での介護を続けているケースがある。ショートステイについては先ほども触れたが、利用せずにはやっていけないので、大幅な負担の増大を覚悟で利用を申し出る人もある。こういうケースも含めて、負担の問題は、かなり広範に起こってきている。施設に入所されている方で、負担も軽減された方がないわけではないけれども、全体として負担がふくらんできている状況だ。この10月から、保険料徴収がはじまるので、この点での負担問題もこれから全国でさまざまなかたちで広がっていくだろう。3)営利事業者参入による利用上の弊害
次に、営利事業者参入による利用上の弊害について触れておきたい。ご承知のように、介護保険は営利事業者に大きく門戸を開いたことから、全体のサービス提供の担い手は、今までとは大きく様変わりした。質的に変化したといってもよいと思う。具体的には、全体の4分の1を営利企業が占める状況になっている。コムスンの撤退の話があったが、コムスンだけではなくて、厚生省の調査だけでも、実施3ヵ月で、500を超える事業体が撤退をしていっている。もちろん、全体として増えているが、事業から撤退するケースもかなり出てきている。4月から、新たに参入したコムスンに期待を込めて頼んだにもかかわらず、2ヵ月たったら「もううちはやらない」といわれ、途方にくれた人もいる。
事業者は、介護給付を確保するということもあるが、それをきっかけにして、介護保険以外のサービスもいろんな形で利用してもらうということを当然考えてくるから、高齢者に相当の負担を強いるようなサービスの売り込みがあり困っているといった相談も寄せられている。それから、家事援助のような、介護報酬の低い部分を利用する人たちに対する、敬遠とか拒否のケースも出てきている。かなりひどいものになると、営利事業者だけではないが、本人・家族に了解を得ないで申請手続が行われ、訪問調査の段階でそのことが発覚したといったケースもある。それから訪問調査の手間を省くために、更新の際に、電話で"何か変わったことはありませんか"などと尋ね、それで訪問調査をしてしまったように見せかけるケースも見受けられる。そんなにたくさんあるわけではないが、こうした介護保険事業の実施にとって、非常にゆゆしき事態、権利侵害に関わる事態が起こっている。4)ヘルパー労働の変質・ケアマネジメントの変質
今日はヘルパーの方がたくさんいらっしゃるが、ヘルパーについても全国でいろんな問題がおこってきている。時間に追われて、ゆとりをもったサービスが提供できないということは、共通して語られていることだ。この間、金沢のヘルパーの方たちと、いろいろ話をしてみた。訪問記録には29分だとか、59分、1時間29分だとか、全部同じような数字が並んでいる。実際には、その枠の中に収まりきらないでサービスの提供をやっているけれども、実施したそのままの時間を書いてしまうと限度額を超えてしまうということで、その部分については書かないで、サービス労働というか無償にしてヘルパーが我慢をしている場合がたくさんある。あるいは登録ヘルパーで、30分の時間帯でのサービスを頼まれて1回だけ行ったが、29分だけでは時給は出せないと言われて不払いにされてしまったケースがある。「それはないだろう」ということで問題になった。そういった、サービスの中身の問題、賃金・労働条件等に関わるところで、いろんな変化が起こっている。
もちろん、かなりがんばっていいサービスを維持しているところもあるが、全体として、介護報酬によって、その年度、月によって収入が変動するという状況の中では、できるだけ固定的な経費を削るというのが、事業者の当然の対応になってくる。可能な限り常勤を減らして、基本的には登録やパートでまかなうというスタイルが一般化しているのは周知のとおりだ。私のゼミ生で、就職が内定している女子学生がいるが、この間久しぶりに会ったら、"先生、私、実はコムスンでヘルパーをやっているんです"と言う。びっくりしたが、聞いてみると、就職が内定した後に講習を受けて2級ヘルパーの資格を取った。それで今ヘルパーをしているのだが、"私のような(経験のない)ものがヘルパーをやっていていいのでしょうか"と言う。こういうケースはいっぱいある。即席で養成してそういう人がどんどん現場へ出ている。介護実習でも、実際に接しておこなうということがやれないケースがたくさん出てきている。実習といっても、外で誰かがやっているのを見ていて、それで終わり。実際に行ってみてはじめて、そこで対象者と関わることになる。逆に対象者の方がびっくりしているケースがある。全体として、介護保険がはじまって、専門性がよりいっそう強く求められる状況の中で、事態はかなり逆行している。
ケアマネージャーについてもいろいろ指摘されている通りで、その人に望ましいサービスはどういう中身なのかを検討し確保するのが本来のケアマネジメントの仕事だが、とにかく給付管理業務に追われているということだ。10日の介護報酬の請求が終わるまでは、勉強会があっても何があっても私は出られないから、やるなら10日以後にしてくださいなんていわれる。ケアマネージャーの人たちは、みんなぎりぎりのところでやっている。もちろん一人が担当する利用者の数はさまざまで、厚生省は標準50人と言っているが、これは専任でもなかなかやれない。ところが、なかには80人担当している人もいる。まさに極限状態で、"私たちが『やめた』と言えば、すぐにつぶれますよ"と言っている。なんでもケアマネージャーのところへ行くような仕組みになっているという事情もあるが、かなりぎりぎりのところで介護保険を支えている状態だ。2、介護保険の実施によって明らかになったこと
こういういろんな事態を通じて様々なことが明らかになってきた。まだ半年経過した時点なので結論は簡単には出せないが、しかしもうすでに、いくつか確認できることはある。
以下、いくつかの点について整理してみたい。1)システムとしての構造的欠陥
1つは、介護保険はシステムとしての欠陥を持っているということ。これは始まる前にかなり指摘されたが、少なくとも福祉サービスを提供する、あるいは利用する仕組みとしては、利用者の状況を正しくつかんで、その人にもっともふさわしいサービスを提供する。それが一番の基本だ。にもかかわらず、訪問調査や、認定にいたるプロセスを見ていても、対象者の状態を正確に把握できない。必要なサービスを利用者が確保できない。そういうことがはっきりしてきた。認定が3とか4で、それ自体に問題があっても、ともかくそれだけのサービスがその人には必要であるということを認めている。にもかかわらず、負担が重くて確保できていない。
選択が自由になったということも随分宣伝されたが、情報が不十分であったり、あるいは実際には、専門的なサポートがないと、ふさわしいサービスというのはそう簡単には選べない。今までお世話になってきた関係もあって簡単に事業者を変えられない。言われるほど選択は自由ではない。こういうことも含めて、システムのかなり恒常的な欠陥が明らかになってきている。2)介護を営利の対象にするというねらい
それから、介護保険の大きな1つのねらいが介護の分野を営利の対象に変えていくことにあるということがはっきりしてきた。事業者の指定は、昨年(1999年)からずっとおこなわれてきたが、申請した数と、実際に指定を受けた数とを比べてみると、都道府県によって差はあるが、大体、99%以上は指定を受けている。基準を超えればそれで指定を受けるという形になる。しかも介護保険の場合には、事前に規制するよりも事後にチェックすればいいんだということで、ほとんどフリーパスになっている。その中で、サービス提供だけではなくて、訪問調査を丸投げする、ケアプランの作成だってみんな任せてしまう。厚生省自身が、膨大な介護市場が開けると、企業の皆さんの出番ですみたいなことを平気で言っているわけだ。それと同時に、今度は自治体が、民間事業者の参入などに太刀打ちできない、あるいは民間事業者の育成をさまたげるからなどと言って、手をひく、縮小していくということになっている。全体として営利の対象にしていくという戦略的な目標が、非常にはっきりしてきたと思う。3)営利型の介護サービス提供体制の限界
しかし同時にまた、コムスン等の動きに見られるように、営利型でサービス提供をやっていくというこの体制の限界も明らかになってきている。利益優先でやっていくわけだから、地域密着型、生活を支えていくはずのサービスでありながら、地域にも生活にも責任をもたない。コムスンなどはそうだが、とくに異業種から参入してくる事業者は、介護や福祉の事業はわれわれの社会的な使命だなどという意識はほとんどない。市場化の流れのなかで、どこに参入すれば一番利益が上がる可能性があるのかということだけを考えて参入してきているわけだ。ということは、そこで十分な利益が上がらないということになれば、簡単に手をひくということが非常にはっきりしている。そういう点から見ても、地域や生活に責任をもたない事業体が、どんなに量的に増えたとしても、その地域の介護サービスの基盤を厚くしていくということにつながっていかないことを示している。
公的な事業を民間の事業者が担い、それを行政が制御してやっていくのならまだしも、事実上野放しの状態で、しかも介護保険を使いながら自らの営利事業の拡大を図ろうとしている。つまり営利活動のために、公的な保険事業が悪用されるというしくみになっているわけだ。そういう点でも、営利的なやり方でのサービスの限界というものを示している。その裏返しとして、非営利の原則にもとづくサービスというのが、本当にその地域や生活に責任をもつサービス提供のしくみをつくっていくうえで、改めて重要だということが明確になってきたと思う。
コムスンについてもう一言だけ触れておきたい。コムスンの今回の撤退には、民間事業者としての共通の性格、つまり採算がうまくとれなければいつでも出て行くという点が示されている。同時に、コムスン的な特質というものがあって、一気に全国展開をねらおうとした。とにかく全国1200箇所の事業所を一気に開いて、どこにでもコムスンがあるという状態をつくることによって、全国シェアの1割を確保することをねらっていった。つまりコムスンはコムスンなりに、普遍的なサービスを提供できるしくみをつくろうとした。ところがそうするためには、利用者が極めて少ないところも含めて、全部事業所をもたなければならない。つまり普遍的にサービスを提供しようと思うと、儲かるところと儲からないところとを含めて包括的な体制をつくらざるを得ない。ところが民間事業者の原理からすると、それは絶対に許されないことになる。だから、全国的・包括的にサービスを提供するしくみとしては、営利の原則では絶対に無理だということを、逆にコムスン自体が示したということができる。この点も見逃がさないでみておく必要がある。3、介護保険改善の取り組みと改善課題
こういうさまざまな否定的な現象が起こってくるなかで、その問題を何とか軽減するために、あるいはより良い介護サービスをめざして、自治体が様々な努力を重ねそれが全国に広がってきていることもご存じのとおりだ。
1)先進的な自治体の経験から
一番の焦点は、やはり利用料・保険料負担の問題だが、それ以外にも、自治体の独自の努力がさまざま行われている。先進的な自治体の取り組みの柱としては、概ね次のように整理できると思う。1つは、自治労連が非常にがんばってやっているモデル条例案を使って、介護保険総合条例、介護保障条例を定めるという形である。厚生省が自治体に示していたモデル条例は、介護保険をおこなっていく上での必要最小限度のものでしかなかった。それだけにとどめず、とくに目的だとか理念というものを積極的に盛り込んで、より包括的で総合的なサービス保障を目指していく積極的な中身を盛り込んだ条例をもつ自治体が出てきている。それから、今はそうなっていないけれども、介護保険だけではなくて、障害者福祉とかを含めて、より包括的な総合福祉条例を、これをきっかけにして整備していこうという方向で議論しているところも出てきている。
2つ目は、運営協議会という形で、つくられた計画を住民参加の形態をとりながら実施していくというスタイルだ。その中に、公募委員ということで市民参加を求めていくもの、あるいはかなりたくさんの市民にグループとして加わってもらって、その実施、具体的な方向や、改善の方向などを提案してもらうものなど形態は様々だ。それから、認定資料、訪問調査結果についても、簡単な手続きをすれば開示するしくみをつくっているところもある。それから権利擁護、権利保障にかかわる、あるいはサービスの質のチェックなども含めた、オンブズマン制度をつくっているところもある。2)保険料・利用料の軽減
それから、保険料と利用料が焦点になっているが、保険料については、独自の減免措置をとっているところがある。今日の朝日新聞の1面に記事が載っていた。「朝日」の調査では、厚生省が定めた「特別な場合」以外に、自治体の長が特別に認めた場合ということで、独自の規定を定めたところが、273ある。ただ、それを具体的にどのように運用していくかについての要綱がまだできていないところが、かなりたくさんある。これを具体的にもうけて、たとえば所得が1段階の人は免除するとか、2段階の人は軽減するといった形での低所得の人たちを対象にした独自の減額・免除のしくみがかなり広がってきている。これを厚生省は、望ましくないといって文書で指導したそうだが、だいぶん反発した自治体もあるようだ。まったく不十分な地方分権推進法だが、地方分権が生かされ始めたひとつのの動きとして注目したい。
利用料については、もっと多様になっていて、これも独自の減免が広がっている。もともと1割だったものを、特別対策ということで3%にする経過措置を政府が出してきた。しかしこれは、これまで訪問介護を利用してきた人に限るという、非常に限定されたものだった。ところがこれをうまく逆手にとって、訪問介護だけではなくて他のサービスにも3%を適用する。あるいは新規に訪問介護サービスを受ける人にも適用する。あるいは所得の低い人たちについては免除する。こういうしくみもいろいろつくってきている。詳しくはふれないが、1つのやり方としては、所得の第1段階、第2段階の根拠、つまり生活保護受給者であるとか、住民税が世帯全員非課税だとか、この部分について免除、軽減をはかるというしくみが、全国に広がってきている。
時間があったらもっと触れたいが、とにかく非課税の世帯に負担を求めるというのは、社会保障の原則からいっても許されない。税というのはみんなが負担するものだが、しかしそれを負担すると生活に支障をきたすから納めなくていいと言われている人たちが非課税の人である。その人からお金を取るということは間違っている。しかも定率負担というのは、社会保障の原則からいっても大問題だ。サービスをより多く必要とする人は、より多く負担しなさいという仕組みだ。より多くのサービスを必要とする人がそれだけ負担能力が高いという関係にあれば筋がとおっているけれども、そういう関係には全くない。逆に負担能力のない人たちがより多くのサービスを必要とするというケースがいっぱいある。一番シビアなのがそういう人たちのケースだ。より多くのサービスを必要としていながら負担能力のない人に、定率の負担が適用される。これはただ逆進的だというだけではなくて、サービスそのものを削らざるを得ないという点で、二重三重に犯罪的なしくみだ。これに医療保険の定率負担が加わってくると、本当に命を削る、奪う仕組みになってしまう。保険料もそうだが、利用料の問題は、全体としてやはりしくみを改革する必要があるし、当面、自治体は全力をあげて取り組まなければならない課題だ。
関連して市町村特別給付の問題がある。これは保険料にはね返ってくるので、自治体でも、本来の意味での上乗せ、横出しというのはあまりやっていない。上乗せ、横出しで介護保険に組み入れるけれども、その費用については自治体が持つという形になっており、現在のところ、住民への負担の転嫁は許していない状況にある。3)制度の仕組みに関わる改善
認定基準なども、これはご承知のとおり、痴呆が軽く認定されてしまうとか、いろんな問題がいっぱい出てきて、厚生省もそれを認めているところだが、そのしくみを、それぞれ独自の改善策、独自の基準を設けることによって、少しでも改善をはかるということでやっているところがある。北海道の空知の広域連合では、自立1、自立2というのをつくり、これらの人に対してもサービス提供をおこなう仕組みをつくった。千葉の我孫子市では、痴呆の場合は介護度3に認定すると。要介護度1、2には判定しないという形をとっている。金沢市もちょっとがんばって、痴呆については独自の基準を設けて対応している。介護予防とか、生活支援事業については、かなり実施されているので、ここでは割愛する。
それから、短期入所サービスを振替利用した場合の負担軽減への取り組みがある。本来のしくみから言うと、本人がいったん全部払って、超過分が後で帰ってくるわけだが、そのいったん全部払う負担が重いということで、受領委任払いにして、負担しなくていいという形にして実施しているところもある。
このように、制度からくるさまざまな矛盾を何とか改善する、住民の負担をできるだけ軽くしていくという努力がおこなわれている。4)制度変更にともなう不利益の是正
改善課題としては、冒頭に少し触れたが、制度の変更にともなう不利益にきちんと対応していく、是正をはかるということが、やはり非常に大きな課題だと思う。介護調査アンケートの項目の中でも、サービスが変化したかどうかを聞いているが、役所にいってかけあう人はまだしも、大抵の人はあきらめてしまう。しかたがないと思ってあきらめてしまっているケースが山ほどある。これがやはり一番問題だ。不利益をこうむることを許さない取り組みが、やはり大きな課題だと思う。5)要介護認定の改善
要介護認定の問題についても、繰り返す必要はないが、これらも、当面改善をはかるということと、構造的な欠陥をもっている以上、構造的に変えていく、抜本的に変えていくという、この両方で対応していくことが必要だろうと思う。当面の課題については、痴呆の認定だとか、生活状況、家族の環境などが反映されないことに対する改善という問題と、構造的な欠陥、認定ソフトの改善がポイントになる。コンピューターだから、人の勝手な判断が入らないから客観的だなどというのはまやかしであって、もともと入ってくるデータが切り取られたデータであって不十分だし、介護認定審査会も本人を見ていない状態でデータだけで判断するのは、どうみても限界がある。そこを変えていく必要がある。これはかなり抜本的な取り組みだと思う。認定は現在はランクをつけるということになっているが、単なるランクづけではなく、サービスを必要とする人たちの状況をできるだけ正確に、包括的に評価していく、実態をつかんでいくという方法を科学的に確立する作業は、介護保険があってもなくても、必要とされることだと思う。その技術、方法を高めていく努力が求められる。6)サービス利用の仕組みの改善
サービス利用のしくみの改善については、区分支給限度額とか、個別サービスの区分とか、二重三重に縛りがかかってきている。これについても、当面は基準額を引き上げるとか、個別サービスの制約を取り除くということが必要だが、そもそも、それぞれに利用の限度を決める、サービスのメニューにも限度を設けるというのは、実態とかけ離れていかざるを得ない。したがって、中期的にはこれら利用上の制限を撤廃する必要がある。7)介護報酬の改善と利用者負担の軽減
介護報酬の改善と利用者負担の軽減の問題についてだが、サービス提供を安定的におこなっていくためには、介護報酬を引き上げなければならないという問題がある。しかし、介護報酬を引き上げると、利用者の側にはサービスの量が減ってしまったり、負担が増えるという仕組みになっている。これだとなかなか正面から介護報酬を引き上げろということを言い出しにくい。しかし安定したサービス提供をおこなうための介護報酬は、きちんと見合った形で再評価して、引き上げるべき点は引き上げていかなければならない。同時に利用料は引き上げるべきではない。そうなると、両者をリンクさせない仕組みにしないと問題は解決しない。この点ではスウェーデンの例が参考になる。スウェーデンの研究者と交流があって、いろいろ聞いてみてわかったが、たとえば日本でいえば要介護度5の人も、自立・要支援の人も、負担能力が同じであれば利用料は全部同じになっている。つまり、受けるサービスの量と、負担とはまったく切り離した形でしくみがつくられている。これが基本的な社会保障のあり方、応益負担ではなくて応能負担、負担能力に応じたしくみだ。こういう方向に変えていく必要がある。これは社会保障の原則にかかわる問題だ。これは簡単に解決するものではないが、議論をしていくことが必要だ。8)サービス提供体制・福祉労働の改善
サービス提供に関しては、非営利の原則の回復という点が焦点だ。しかし、直接には介護労働の改善が急務だ。介護労働者は、いま非常に不安定な状況におかれている。介護保険は、福祉マンパワーを削ぎ落としていく点が、一番犯罪的な点ではないかと考えているが、やはり介護報酬の出来高で変わっていくしくみのなかでは、マンパワーのところに非常に大きなしわ寄せがいかざるをえない。これはやはり、中長期的には、日本の福祉を足元から掘り崩していくことになりかねない。人材が必要な分だけ、きちんと配置をしていく。そのための独自のしくみというのを考えていかなければならない。事業者の採算にゆだねていくような形だと、どうしても人材は削ぎ落とされていくことになってしまう。この点が非常に重要だと思う。4、介護保険改善と福祉のまちづくり
介護保険のしくみのもつ矛盾や問題点を明らかにして、改善をはかっていくということで話をしてきたが、いま本当に求められるのは、その制度の枠の中だけでの発想ではなくて、地域全体を見据えた取り組みを進めていくということではないか。介護保険はたしかに、高齢者福祉の主要な分野を含んでいるけれども、それがすべてではない。介護保険が対象にしない人たちのさまざまな生活を支える行政的な施策が必要になってくるわけで、そういう点で、あまり制度の枠にとらわれることなく、地域をどう変えていくのか、安心して住みつづけられる地域をどうつくっていくのかを基本にすえる必要がある。介護保険前に一生懸命全国で議論してきたこの方向をもう1回確認して、安心して住みつづけられる地域のしくみをつくっていく、そこをめざして取り組んでいく必要がある。介護保険がはじまって、介護保険のいろんな問題に忙殺される、いろんな問題が具体的に出てきて、その個々の対応に追われてきたというのがこの半年の状況ではなかったか。あらためて、起こっている問題の意味、重大性を、地域の視点からもう1回洗いなおして、どの世代の、どんな状況になっても住みつづけられるしくみを、どう地域のなかにつくっていくのかという視点から、問題をとらえ直していくことが求められていると思う。今度の調査の意味もそこにあると考えている。
今度の調査の意義については、後で今井さんからお話があると思うが、簡単に触れておくと、1つは、これからの介護保障のあり方を考えていく基礎資料を得たいということ。2つ目は、制度のもっている問題点を具体的に明らかにして、改善の方向を示していくこと。3つ目は、サービス自身の、介護保険の枠の中にとらわれない、生活全体を支えていくそれぞれのサービスの果たす役割、こういったものを明らかにしていくこと。そのなかで自治体の果たす役割や、課題を明らかにしたい。同時に、その自治体の役割をつうじて、あらためて、国の社会保障、社会福祉、当然その介護保険に対する責任を明らかにしていくとりくみにつなげていけるように考えている。私の今日担当している部分については、時間もきましたので、追加的な説明が必要であれば後でさせていただくことにして、ひとまず終わらせていただく。ありがとうございました。(おわり)
12、1月の活動状況 2000年12月9日 「高齢者介護に関する住民生活調査」経験交流座談会 12月10日 地域福祉研究会 調査の経過と到達状況について/第2次調査に向けて/季刊誌特集号の執筆分担について 2001年1月6日 地域福祉研究会 調査の集計と分析作業について/第2次調査について/その他 1月19日 編集委員会 季刊誌の名称変更について/第4号の企画について/その他 1月22日 『季刊 自治と分権』 第2号発行 (『季刊 地方自治』を改題) 1月28日 地方分権研究会 地方自治制度史・序論(山田公平先生)/問題提起(白藤研究員)/住民参加プロジェクト報告(榊原先生)/その他
日本の財政危機の特徴及び原因とその対抗軸
行方 久生(研究機構事務局長)
昨年、この『Information Service』No.10に『現在の財政危機をどう考えるか…財政危機打開は国民運動になりえないか』という拙論を掲載したところ、その「続編」への要望がかなりありました。そこで、気を良くして、21世紀の初頭にあたり、「分かりやすい」財政問題、「常識への挑戦」を旗印にして、「つづき」を掲載することにいたしました。数字が多く、多少ゴチャゴチャとしておりますが、落ち着いて読んでいただければ、多くの基礎知識は必要としませんので、ご理解頂けるものと思います(^_^;
まず、日本の財政危機の特徴について、地方財政の分析に必要な問題に限って簡単に分析をしておきましょう。今回は、本文の前に「要約」(要旨)を掲載しましたので、お急ぎの方は、要旨をお読み頂ければ幸いです。
1) 特徴その1― 国際的に異常かつ急激な赤字への転落と債務の累積
<要旨>
現在の日本の借金累積額は国・地方を合計して2000年度末には645兆円(2001年度末は666兆円と更に拡大されると予想されています)に達しようとしています。この赤字累積の特徴の第一は、これがユックリと時間をかけて累積してきたのではなく、バブル崩壊後の短期間に急速に進行・悪化したことにあります。国際的的な動向に逆行するとともに、直接的な原因は後で見るようにこの間の「景気対策による公共事業の維持・拡大」「大企業の国際競争力の強化を旗印にした無謀な減税」などにあり、その意味で極めて政策的(失政的)なものといえます。1995年12月に財政制度審議会は「財政の基本問題に関する報告」を発表し、日本の財政の現状について「近い将来において破裂することが予想される大きな時限爆弾を抱えた状態であり、かつその時限爆弾を毎年大きくしているといわざるをえない」と述べていました。 図I-1をご覧ください。
日本についてみると、確かに92年までは黒字であった一般政府(1)の黒字が93年以降は大きく赤字に転落し、欧米諸国が赤字財政からの「回復」を基調としているのに反し、国際的に異常な状態を呈していることが分かります。バブル崩壊後、公共事業を中心とした「景気対策」を強化してきた日本政府が、このような事態を重く見て「財政健全化」に向けて路線の転換を目指したことは、その手法・内容を問わなければ当然のことと言えないこともありません。
96年7月に、財政制度審議会は海外調査なども踏まえて『財政構造改革を考える』(7月10日)(2)を発表し12月19日に、これらを踏まえて橋本内閣は「財政健全化目標について」を閣議決定したのでした。ここでは、2005年度までにのできるだけ早期に、財政赤字対GDP比を3%以下にすることや、特例公債(赤字国債)脱却などを明記し、「歳出全般の聖域なき見直し」を含めた「財政健全化の方策についての原則」を謳いました。(グラフからは、日本の財政運営や実態が如何に国際的な動向と逆行しているか、その異常さが理解できると思います)ご都合主義と財政運営のダッチロール
以上のような経過をたどりましたが、96年に住専の不良債権処理に国民の反対を押し切って6850億円の公的資金を投入すると、次は金融の自由化であり、国民生活に大鉈を振るう「財政健全化」であるとばかりに、社会保障にターゲットをあわせるとともに97年4月から消費税率を3%から5%に引上げました。これで、一定の回復を示しつつあった日本経済は完全に腰折れ状態となりますが、橋本内閣はその後の11月に追い討ちをかけるように、特別措置法を強行成立させ、国民の先行き不安を決定的なものとしたのでした。ここから先は、もう政策的には「支離滅裂」で、当然のこととして景気が後退すると「特別措置法」の法の網をくぐって補正予算で公共事業をばら撒き、小渕内閣では特別措置法の弾力化から停止へと「世界の借金王」を自称するまでになりました。(4)
- その後の経過を簡単にたどってみましょう。
- (1) 97年3月には、橋本総理から「財政構造改革5原則」が提示され、財政赤字対GDP比及び特例公債脱却を2003年と明記し、「集中改革期間」(1998年〜2000年度)における主要な経費について具体的な量的縮減目標を定める旨を明記等。
- (2) 6月3日に、「財政構造改革の推進方策」(財政構造改革会議)が出され、これを受けて"財政構造改革の推進について"の閣議決定を行う。
- (3) 11月28日、「財政構造改革の推進に関する特別措置法」が成立し、財政赤字対GDP比3%以下、及び特例公債脱却は2003年度を目標とすると明記。また「集中改革期間」における主要な経費(社会保障、公共投資等)の量的縮減目標を具体的に明記。
- (4) 1998年5月29日、「財政構造改革の推進に関する特別措置法改正法」が成立し、特例公債発行枠の弾力化を可能とする措置をとるほか、財政健全化目標の達成年次を2005年度まで延長し、99年度当初予算から社会保障関係費の量的縮減目標を「おおむね2%」から「極力抑制」に変更を。
- (5)12月11日、「財政構造改革の推進に関する特別措置停止法」が成立し、財政構造改革法全体の施行を当分の間停止し、「解除」の時期は、国の経済が回復軌道に入った後に、経済・財政状況等を総合的に勘案して判断し、「再施行」のために必要な措置を講ずる旨を規定。(3)
政策破綻の責任は明確
さて、図I-2(公債発行額の推移)を見ていただくと、97年度(平成9年)は、確かに特例公債(赤字公債)9.5兆円、建設年度(予算ベース)は赤字国債、建設国債とも大増発で、歳入にしめる公債発行の比率(公債依存度)が98年度40.3%、99年度38.6%、2000年度38.4%ととてつもなく異常な状態になりました。これが図I-1で97年度にはまだ国際的にみて、「普通」の財政赤字であったものが、8%に近い赤字まで転落し、国際的に突出する背景であったわけです。96年に「明るい未来を子どもたちに」と大見得を切った後、僅か数年間に、国際的に異常な状態にまで赤字を加速させた責任は明らかではないでしょうか。もちろん、国がどんなに赤字でも国民の生活には何の関係もなければよいのですが、この間の政府の財政政策は、92年から95年の間に、6次にわたって合計66兆円の景気対策(大半が公共事業)を行い、消費税の税率引き上げで国民の負担を増加させたのでした。一方「減税」については、94年から96年にかけての「先行減税」16.5兆円、99年度の「恒久減税」6兆円の合計22.5兆円の減税を行いましたが、この大半は累進税率の引下げや法人税率の引下げなど、「金持ち減税」「大企業減税」という性格の強いものでした。その上、98年度に「箍(たが)が外れた」財政構造改革によって、98年度は4月に116兆円、11月には17兆円という「経済対策」が赤字公債によって措置されたのですから、まさにあいた口が塞がらないという状態です。重視すべき日米安保体制の桎梏
さて、現在の日本の異常な公共事業継続の背景として、日米構造協議による内需拡大のための公共事業430兆円(その後、94年のローリングにより10年間に630兆円に嵩上げ)の「公約」があったことは、つとに強調されています。
実は、日本の累積赤字を分析する場合、バブルの原因やそれに対する対策、バブル崩壊後の政策展開の分析がどうしても避けて通れませんが、その際に、一つのキーポイントになるのが日本経済の対米従属性です。今回の拙論は、この分析を目的とするわけではありませんので、詳論は避けますが、問題となるのは次のような点です。
- (1) バブル経済は、アメリカの金融自由化要求とプラザ合意による「内需拡大」要求により、景気拡大局面で公共事業を推進し、同時に、低金利に日本の経済政策を縛り付けたことが極めて重要なファクターになっています。
- (2) バブル崩壊後の430兆円及び630兆円の対米「公約」は、年間50兆円前後の「行政投資」に旧国鉄等の固定資本投資を加えると、概ね実現に近い線になっています。
このように、一国の経済が重要な岐路に直面している際に、自主的な政策を選択できない政治構造というのは、国際的に見ても異常なことであり、まして先進国では他に例を見ません。日本は、日米安保体制の下で、国際的に見て軍事費が相対的に低かったことや、「冷戦構造」下での経済協調によって「安保繁栄論」を謳歌してきたことは良く知られています。(5)
しかし、上に要約したように、「冷戦崩壊」後の状況として、到底「安保繁栄論」を主張することが出来ないほど、対米従属の経済政策上の桎梏が前面にでてきていると思われます。この点が、同じ新自由主義的な改革であるといっても、80年代の臨調行革路線と90年代の財政構造改革・行政改革が区別される重要なポイントであるといっても過言ではありません。90年代の初めから言われてきたいわゆる自民党型政治(経済)の「行きづまり論」も、このような視点からも検討しておく必要があるでしょう。(6)2) 特徴その2― 異常な地方財政の赤字と社会保障基金の黒字
<要旨>
特徴の第二は、先進資本主義各国と比較して地方財政の赤字が突出しており、反対に社会保障基金はアメリカとともに例外的に黒字になっていることです。この日本の地方財政の赤字は国と自治体の財政関係(財政負担の転嫁や公共事業の押しつけ)及び自治体の政治姿勢によってもたらされたものであるといえます。また、社会保障基金の黒字は文字通り社会保障の貧困に起因しているといってよいでしょう。
さて、もう一度、図I―1をご覧ください。90年代にドイツを除いて一般政府の財政赤字の対GDP比率が各国とも拡大し、93年〜95年くらいにかけて改善に向かっていることが分かります。しかし、その赤字の内容を見ると、図I−3(地方政府の収支尻の各国比較)のように日本の場合、財政赤字に対する地方政府(自治体)の寄与が極めて大きいということです。(7)
一般的に財政の機能として(1)資源配分機能(2)所得再分配機能(3)経済安定機能の三つがあるとされています。このうち、地方財政に期待されるのは(1)の資源配分機能のみとする議論が多く、所得再分配機能や経済安定機能については国家財政の機能と考えられてきました。(8)
この辺を詳しく述べると、財政学の教科書のようになってしまうので避けますが、自治体に効率的資源分配機能のみが期待されるという議論の背景には、自治体が住民の様々な要求・ニーズを適切に掌握して「供給」される「公共財の便益」(公共的なサービス)が、他の自治体や国(つまり当該自治体の外の住民)にスピル・オーバーしなければ、自治体は適正な資源配分ができると考えられるからです。反対に特定の自治体のサービスが他の自治体や国全体へその便益が波及する場合は、国家としてサービスを供給する必要があるということになりますし、国全体の「貧富の差」などの調整(所得の再分配)は国の役割であり、経済調整機能も国の役割とされることになります。
欧米の地方財政については限定的ではあれ、このような理論と一致している側面があり、地方財政の赤字が少ないともいえますが、日本の場合は、事情がかなり異なっています。地方債の発行基準が国債に比べても「柔軟」なことや、税制なども法人事業税などに典型的に見られるように、景気変動に敏感なものが基幹的な税として編成されていることなどです。
なお、上記の地方財政の機能についての学説には様々な疑問や問題もあります。日本では、所得再分配機能を果たす生活保護や福祉などの多くは実質的に自治体の仕事(財政負担は国と自治体の分担)になっていますし、教育などの所得再分配機能も大きいものがあると言われています。更に、税財政による景気安定化機能のみでなく、国の景気対策の下請けとしての公共事業の推進などを自治体が負っていることに、現在の地方財政の赤字、借金の累積の背景があるわけです。
一方、社会保障基金については、図I―4に見られるように、資本取引で若干のマイナスもありますが、経常取引は一貫して「大黒字」になっており、国際的にみても極めて安定した財政状況を示しています。
以上のように、財政赤字の内容を具体的に検討すると、日本の場合、地方財政の赤字が顕著であり、社会保障基金は「大もうけ基調」であることがわかります。この原因や問題点については、後ほどで詳しく取り上げることになります。3)特徴その3― 公債発行による浪費的な公共事業推進が累積赤字の最大の原因
<要旨>
現代の「福祉国家」における財政危機の主要な原因として(1)軍事費の圧迫(2)国家権力を労働者・国民が受容するための福祉・社会保障費の拡大(3)膨大な官僚機構の維持費(4)資本蓄積のための社会資本投資(及び、独占のための特権的な減免税)、などが一般的に指摘されてきました。 しかし、日本の場合は、社会資本投資(公共事業)の拡大が突出しており、国際的に見ても異常な状態になっています。ここに今日の財政危機の「直接的」原因があることは明確です。(9)かつて、池上惇氏は階級社会における財政危機の必然性を強調し、「帝国主義国家も、軍事費や大型公共事業によって、独占に市場やキャピタルゲインを保障する目的で公金を費消し、住民生活を圧迫して大規模で長期的な財政危機に直面している。財政危機は官僚機構が肥大化し、社会のうえにたちつつ社会に寄生しきれなくなったことを表している」(10)した。この矛盾がどのような形で発現するかどうかは別にして、現在の日本の状況を見ると、「住民生活の圧迫」については「失われた10年」といわれるくらいにヒドイものがありますし、「経済格差」も拡大しています。国と自治体の借金の累積645兆円をどこに付回しをするのか、国民がどうそれに対抗するのかによって、矛盾の解決の方向が決まってくるということでしょう。
日本の場合、「福祉国家」的な支出によって、財政危機が深化しているというのであれば、ある程度国民がそれを負担することも「止むを得ない」ともいえるでしょうが、事実はそうではありません。まず、図I―5をみてください。
図で示されている社会保障費は、国と地方の社会保障費及び社会保障基金(年金など)への公的な負担分の合計です。また、社会保障基金を除いた国と地方の社会保障負担の合計(一般会計ベース)も図示をしておきました。一方、公共事業については、「行政投資」とこれに国と地方の「利払い費」(建設国債や地方債の利子分)を合計した「実質行政投資」を示してあります。以上を見ると、利子を含めた「実質行政投資」と年金まで含めた「社会保障費」の推移がほぼ拮抗していることが理解出来ます。
公債利払い費は、実質的には公共事業の推進のために発行した公債の利子ですから、公共事業の後年度負担という性格を持っているわけです。岩波一寛氏はここに着目して、行政投資に公債利払い費を加えたものを事実上の公共事業費(上図の「実質行政投資」)して、これと社会保障費を比較しています。
本来であれば、公債を発行した場合に、その元利償還のための積立金(整理基金など)を立てるので、こちらにも利子がつき、公債利払い費と相殺することになりますが、実際には積み立てをまともに行わずに取り崩していますので、岩波氏の指摘するように、公債利払い費が実質的に公共事業費であるとみて間違いはありません。
以上は「国民経済計算」で見た、実質的公共事業と社会保障費の比較ですが、社会保障費には掛け金なども財源に入っていますので、国と地方が支払う民生費や社会保障費の合計、即ち、一般会計レベルだけの社会保障費を見ると、90年度以降も約20兆円の水準に止まっていることが分かります。
このように、財政制度審議会の主張とは裏腹に、今日の日本の財政を圧迫している最大のガンは、社会保障基金を除いた一般政府レベル見ると、明確に実質的な公共事業費であることが理解できます。国際的に抜きん出た公共投資
以上、公共投資が財政を圧迫する主要な要因となっているわけですが、先進資本主義国を見る限り、これは日本の特殊な状況と理解できます。図I―6(財務省資料)はOECDの資料によって、各国の一般政府(中央政府、地方政府、社会保障基金)ベースの固定資本形成のGDPに占める比率を暦年で示したものです。1970年までは、トップ水準であったものの、欧米諸国と比べてそれ程かけ離れた水準ではありませんでした。しかし、日本列島改造計画や77年のサミットによる内需拡大要求などを反映して、80年代までには欧米諸国とかけ離れた高比率を示すようになっています。逆に欧米諸国は70年代半ば以降は次第にその比率を低下させています。図I‐680年代以降は、臨調行革路線に基づいて一定の公共投資の抑制が行われていましたが、バブル崩壊後の91年〜92年以降、再びGDPに対する比率が急上昇をしています。この辺の事情については、もう少し詳細に検討をしなければなりませんが、バブル直前の1985年に4.9%までに低下した比率が、バブル下においてむしろ上昇をしていることの「異常さ」だけをここでは確認しておきます。
「小さな政府」の下で、異常に突出した地方自治体の公共投資(固定資産形成)
さて、次に図I‐7を見て下さい。これは、一般政府(社会保障基金を除いた中央政府と地方政府)の支出の対GDP比の各国比較ですが、地方政府(自治体)と中央政府の財政支出の内訳(公的資本形成と最終消費支出)が示されています。これを見ると、日本の一般政府財政支出の対GDP比が国際的に見ても小さく、ドイツを除けば、最も「小さな政府」となっています。その「小さな政府」の特徴を見ると、
(1) 国の支出の比率が小さく、地方の支出が圧倒的に大きいこと。
(2) 地方の支出の中で、公共投資の比率が一圧倒的に高いこと。
を指摘できます。地方の公的資本形成の大きさは正に異常というべき水準であり、地方の支出の対GDP比率が日本より高いカナダと比較してみても、日本の5.6%に対しカナダは1.9%であり、全く比較にもなりません。
なお、中央政府についても、日本は公的資本形成が1.0%であり、欧米諸国がコンマ以下であることと比較すると、やはりその大きさが目立ちます。
ところで、民間資本を含めた総固定資本形成の国際比較を見ると、既に見たように政府の公的固定資本形成が大きいのみでなく、民間の固定資本形成も欧米諸国に比べて大きいことが分かります。公的固定資本形成では日本6.2%(98年度)、アメリカ1.9%(97年度)、イギリス1.4%(96年度)、ドイツ2.0%(97年度)、フランス2.8%(97年度)となっており、民間固定資本形成を含めても日本26.5%、アメリカ17.7%、イギリス15.6%、ドイツ19.9%、フランス17.1%となっており、その突出が分かります。まさに「土建国家」「土木国家」(11)という規定が生まれる根拠といってよいでしょう。
以上のように、日本の一般政府は国際的に見ても「小さな政府」であるにも拘わらず、地方を中心とした(国からの財源移転がありますが、これは次章で検討します)公共投資を公債発行、即ち借金によって大拡大してきました。ここに、財政危機の最大の直接的原因があることは明確でしょう。貧弱な福祉・社会保障施策
このような「国のあり方」の当然の反映として、図I―8にみられるように社会保障への国庫支出の対GDP比率は、各国の中で一際低い状態になっています。しかも、1980年に比べてその比率が低下しているのは、図の中では日本のみです。しかし、先に紹介した『財政構造改革白書』などを見ると、日本がこれから高齢化してゆくに従い、現行の福祉・社会保障制度の下では「財政破綻」をするということのみが強調され、国民負担率(税と社会保障の負担合計の対国民所得比率)の各国比較などが行われている反面、福祉や社会保障の政府支出の国民経済に占める比率の比較など、福祉・社会保障削減に都合の悪い事実は掲載しないなど、極めて恣意的な世論誘導を行おうしていることは、アンフェアであるといわざるを得ません。
反面、公共事業などで「一人当たりの高速道路延長」などを比較して欧米に比べて「少ない」などという図表を示していることは、狭くて平野部の少ない国土に人口が密集している日本の実情を無視した滑稽極まりない手法であるといわざるをえません。公共事業推進の欺瞞的「口実」
『財政構造改革白書』は財政危機の最大の原因が、社会保障の拡大にあり、公共事業については見直す必要はあるが、まだまだ欧米に比べて社会資本の整備が遅れていることを世論に印象づけようとしています。
先に少しふれましたが、1990年の日米構造協議最終報告に基づく「公共投資基本計画」では、1991年から10年間で430兆円の公共事業の推進が謳われており、さらにこれを見直した94年の「公共投資基本計画」では、95年から10年間で630兆円にその規模が拡大しました。
これを合理化する議論として、日本の人口高齢化が他の先進諸国に比べて、急激かつ深刻に展開するので、まだ"体力"のある現段階で、集中的に高齢化に対応する社会資本整備を行うべきである、という議論がありました。人口の高齢化に向けて、必要な施設(例えば、特別擁護老人ホームであるとか、街路等のバリアフリーの実現、高齢者用住宅の充実)などが必要なことは明らかでしょうが、自然体系を無視した干拓であるとか、目的を失ったダム建設、特定財源の存在を唯一の根拠とした環境無視の道路建設の推進、巨大なビル群を配置した臨海部再開発などが高齢化への対応とは到底思われません。
このような「公共投資」は概ね国債などの借金で行われます。国債の償還は、借り換え債の発行によって、一般的に60年を目処に行われることになっているのですが、実際に60年も償却に時間のかかるような公共投資は稀であり、経済企画庁の試算でも道路で47年、港湾で49年が長い方であり、大半が20年から30年という状況になっています。(12)
そうすると、日本の高齢化が最も進行すると言われている2020年から2025年辺りで、バブルの時期に乱造した公共事業が「更新期」「維持補強期」を迎え、それこそ、高齢社会に対応するために必要な財源を大幅に「剥奪」「簒奪」するという大変な問題が生じることになります。
高齢化社会に対応するための社会資本整備という「根拠」が、全くの欺瞞的口実であったことは明確でしょう。待ったなしの公共事業の見直しが迫られているのです。
しかし、「土木国家か福祉国家か」の選択がせまられているのか?
公共事業の削減や見直しを以上のように主張すると、「公共事業を削って、福祉・社会保障にまわせ」というようなスローガンや、「この国のあり方」として「土木国家か福祉国家か」という選択が迫られているという議論になりそうですが、これは運動のミスリードに結びつくと考えています。公共事業の何が問題なのかについては、もう少し緻密な議論が必要です。この拙論はそれを解明することが中心ではありませんが、後ほど、「公共事業とは何か」の考察において、若干この問題を取り扱います。財政危機の最大の原因として正当に公共事業のあり方を批判している論者で、「土木国家か福祉国家か」を現代日本の"国のあり方"を考える際の、対抗軸とする議論があります。(13)
しかし、この議論は色々と問題をもっています。
第一に、公共事業の見直しは是非とも必要なことですが、この見直しが直接に福祉の拡大、まして「福祉国家」に結びつくわけではありません。すでに述べましたように、公共事業は一部の道路特定財源による事業を除いて、その大部分が借金(公債発行)によって行われています。これが借金の累積の主要な原因であることは明白ですが、(14)だからと言って公共事業を削減しても、借金の増大を抑制する或は借金の返済を促す効果はありますが、これを福祉や社会保障にそのまま「振り替える」ことは出来ません。
第二に、80年代の臨調行革路線への対抗として「軍事費を削って、福祉・教育の充実を」というスローガンを掲げてきましたが、それは、臨調路線(中曽根内閣は戦後政治の総決算を掲げ、憲法改悪まで射程にいれていました)が「国際貢献国家」という名によって対外的、体内的な強権国家の創出を目指しており、その反射として自立・自助による「活力ある福祉社会の実現」という二つの方向を示していたからです。従って、この考え方は、軍事費を全廃しても年金財政を賄えないとか、金額の問題に矮小化できない本質的な内容をもっていたわけです。
第三に、現在の日本の国民、労働者への支配の特徴は、民間大企業を中心とした労使関係が社会全体に波及した「企業社会」構造です。この「企業社会」について、渡辺治氏は「現代日本国家は、制度的には依然として民主的形態を維持しえているものの、社会レベルでは、企業などを中心に極めて権威的な統合が形成させており、労働者は企業のために身も心もすり減らして方向することを余儀なくされているように見えるのである」(15)としています。企業社会の物質的な背景として「日本型経営」といわれる労働者統合の制度があり、「未熟な福祉国家」を企業内福利で「補完」する役割も果たしていました。この「企業社会」の構造が、日本企業の多国籍化によるアジア諸国、世界への「展開」によって「右から再編」されようとしているのが現在の局面といってよいでしょう。これは、政治的には小選挙区制導入、PKO派遣法、新ガイドライン法などに結実し、社会的には労働法制の規制緩和、労使関係では賃金の能力主義・成果主義への転換、財政的には大企業を中心としての法人課税・所得税等の累進性の緩和・消費税の導入と税率引き上げや企業内福利からの撤退などに結実をしています。(16)
つまり、これまで労働者・国民への統合支配の物質的な基盤となっていたものが、再編の「憂き目」にあっているわけです。ここから「未熟な福祉国家」への右からの攻撃に抗しつつ「新しい福祉国家」の形成にむけた運動方向が展望される必要があるのです。このように、福祉国家(社会国家)への現代日本の転換は、「土木国家」と対抗軸を持っているわけではなく、企業社会の再編や、「未熟な福祉国家」への右からの攻撃と対峙する中から、方向づけられるものと理解する必要があるのです。財政危機の民主的打開についても、この視点を外すと、何が対抗軸になっているのか不明になり、運動の焦点も定まらなくなるわけです。4) 特徴その4― 歳入構造の変質も財政危機の大きな要因
<要旨> 国と地方の累積債務の合計が645兆円となりますが、平成10年度(1998年度)における国と地方の税収の合計は87.1兆円です。税収を借金の返済に全額当てても7年以上もかかるという途方もない数字です。国と地方の税収はバブル末期の91年度の98.3兆円を最高にして、ほぼ一貫して低下してきました。しかも、89年には「抜本的税制改革」の名の下に消費税が導入され、法人税率の引下げ、所得税の累進課税の緩和など、税制の変質が進められました。これによる歳入の低減と、所得再分配の歪みの増大が財政危機を深刻なものとしています。
国と地方の税収低下の原因は、もちろん、バブル崩壊後の複合不況・平成不況によるところが大きいのですが、それとともに、国際競争力強化や「景気回復」を旗印にした減税の寄与が相当程度あります。図I―9は、法人税率の推移を示したものですが、1984年の43.3%を最高として、バブル崩壊後も国際競争力強化を口実として下げつづけ、99年には30%へと10.3%も引き下げたのでした。この結果、ドイツ(40%)、アメリカ(35%)、フランス(33 1/3%)などを大きく下回り、国際的にみても最低ランクの税率となりました。
次に所得課税を見ると、1974年に最高税率が75%でしたが、84年(70%)、86年(60%)と次第に累進性を緩和し、消費税導入時の「抜本的改正」では、5段階50%とし、さらに99年には最高税率37%、4段階課税とし、国際的にみても最低レベルの水準になりました。(17)
このように、所得の再分配機能を弱体化させつつ、減税を行った結果91年度には国・地方合計で91兆円であった税収が98年には87.1兆円に低下したのです。
さらに、問題は税収の低落一般のみではありません。消費税の導入によって税収構造は90年以降大きく変化をしています。消費税が導入された90年度はその税収は5.8兆円、所得税が26兆円、法人税は18.4兆円でした。その後、97年に消費税の税率が3%から5%に引き上げられ、98年に消費税と法人税の税収が逆転をしました。2000年度の税収(予算ベース)は、所得税が18.7兆円、消費税が12.3兆円、法人税がわずか9.9兆円となっています。
以上のような税収構造の全体の推移を、国税、地方税全体について見でおきましょう。
昭和63年(1988年)の抜本的税制改革以前においては、資産課税等15.8%、消費課税17.7%、法人所得課税34.3%、個人所得課税32.2%であったものが、「税制改革」(消費税導入・税率引き上げ、法人税率等の数次にわたる引下げなど)を繰り返した後の平成12年(2000年、予算ベース)には、資産課税等17.1%、消費課税30.6%、法人所得課税19.1%、個人所得課税33.2%となりました。注目すべきことは、消費課税が12.9%もそのウエイトを増加させ、逆に法人所得課税が15.2%も減少していることです。個人所得課税については、全体にしめるウエイトはそれほど大きな変化はありませんが、先に見たように、高額所得者中心の減税を繰り返してきました。
以上の全体を見ると、その本質は次の2点に集約できるでしょう。
(1) 法人から個人への税負担の転嫁…消費課税は消費税をはじめ最終的な税負担は、最終消費者としての国民です。法人の負担は、中小企業など消費税を消費者に転嫁できない場合のみとなります。
(2) 個人所得課税においては、金持ち減税と低所得者の相対的な増税…所得税の最高税率の引き下げと課税最低限の引き上げによって、個人所得課税の所得再分配機能は弱体化し、所得格差が拡大しているのが実情です。
これが、89年の「抜本的税制改革」から始まって最近の「恒久的な減税」までを貫く税収構造の変化の中心的な問題です。現在の財政危機を民主的に打開する方向を模索し、財源の確保をめざす場合、以上のような問題を強く念頭におく必要があるわけです。補論1…政府・財界の財政再建方策とその問題
現実的な政策選択としては、政府・財界が一直線に「財政健全化」政策を邁進しているのではなく、ご都合主義的に「景気対策」の名のもとに、金融資本救済や支持基盤の確保・大企業への利益誘導のための公共事業の拡大を行うなど、「ダッチロール的」状態になっています。しかし、「財政健全化」をめざす「理論」や「方向」はある程度ハッキリした輪郭を持っています。ここでは、『日本経済再生への戦略』(経済戦略会議答申、99年2月26日)を中心に簡単に検討をしておきます。
経済戦略会議は、次のような結論に達した、として5点を掲げています。列記すると、以下のようになります。
(1) 日本経済は本来2%強の潜在成長力を有している。
(2) 十分な構造改革が断行された場合、日本経済は99年度以降プラス成長に転じ、2001年度には2%の潜在成長力軌道に復帰する。
(3) 雇用流動化が予想以上のスピードで進展する可能性がある。その場合には、一時的に失業率の上昇が不可避となるが、それはむしろ「新しい人的資源大国」としての日本を作る絶好の機会と前向きに位置づけ、必要な対策を採るべきである。
(4) 国民・市場が持っている将来の財政破綻に対する懸念を払拭するためには、財政のサスティナビリティーを回復させることが重要である。
(5)そのための手段としては、構造改革の断行によって経済を自律的回復軌道に乗せる一方,経済成長への影響にも十分配慮しつつ、「小さな政府」の実現による徹底した歳出削減、国公有財産の可能な限りの売却・有効活用、課税ベースの適正化等あらゆる政策努力を最優先で進める、平たく言ってしまうと、『財政構造改革白書』でもターゲットにされていた社会保障などの歳出を徹底的に削減して、国や自治体の財産は売り払い、大企業には税金をトコトンまけてやれということでしょう。そして、失業が増加しても(現在、大変なことになっているのはご承知の通り)、「絶好の機会」として労働者同士を競い合わせる「成績主義、能力主義」賃金の拡大、年金のポータブル化(18)、労働者派遣事業の拡大などを行い、最後には労働者個人のエンプロイアビリティ(転職適応能力)を政府がサポートすることによって「解決」しなさい、ということになります。
プライマリー・バランス論の登場
さて、財政の問題は、このような政策展開を前提として「財政のサスティナビリティーを回復させる」という耳慣れない言葉が出ています。そして、「サスティナビリティー(持続可能性)回復への道」として、「理論的には」と断った上で、次の条件を示しています。
(1) プライマリー・バランス(基礎的財政収支=公債費を除く歳出と公債を除いた租税等の歳入の収支)の赤字を極力速やかにゼロに回復させること。
(2) 名目成長率が名目金利を上回る状況を実現すること。
をあげています。
公債発行によって公共事業を行うと、税収に依拠しない公債金収入によって歳出増加が起き、「現在の負担以上の行政サービスを享受」することになります(公債発行による公共事業の推進とは負担を将来に先送りすることにほかなりません)。しかし、公債発行の元利償還を行うようになると、国債費が増加して他の一般歳出を圧迫することになります。借金による公共事業推進の「ツケ」を、将来の世代が一般歳出の縮小という形で補填することになるわけです。つまり、税収によってセッセと以前の公共事業のツケである国債費を返却する状況が、プライマリー・バランスの「黒字」ということになります(下の図I―10、大蔵省資料を参照)。結局、消費税の大増税と福祉・社会保障の削減に
ここで、経済戦略会議の提起をもう少し聞いてみましょう。「プライマリー・バランスは、名目GDP比6%強、金額にして30兆円超の赤字(1998年度)となっており、そのバランス回復を実現させなければならない。具体的な方策としては、経済成長を高めることによる自然増収の確保に加えて、政府支出の削減と増税のいずれか(あるいは、それらを組合せ)が必要である。」その上で、(1)財政健全化への道筋を常に確保し、市場主導の行き過ぎた市場金利上昇をさけること(2)財政バランス改善に伴うデフレ作用を相殺するために当面は金融の緩和基調を維持しておくこと、を強調しているのです。
つまり、30兆円の赤字を解消して「プライマリー・バランス」を回復するためには、「政府支出の削減と増税」によること、これが第一です。第二に、この政策によって当然景気の後退、失業の増大、国民生活の悪化がもたらされますが、国民の方には「自立・自助」が要求されるものの、大企業に対しては、金利上昇のチェックや金融緩和を国の介入で保障しましょう、ということになります。
経済戦略会議のメンバーであった竹中平蔵氏は、『経世済民』(19)において、プライマリー・バランスを回復するためには、「消費税を一気に14%に引き上げるか、それとも公共投資を今の水準から8割程度カットするか―。そうすることによって初めて、今から10年後ぐらいにようやく財政は維持可能性を取り戻すことができる」と述べています。小渕内閣では、その後も公共事業の大判振る舞いと国債大増発を続行しましたから、現在では"消費税14%"では「解決」しない状況に立ち至っていると思われます。
現代日本の「新自由主義」を徹底的に批判した二宮厚美氏は、この経済戦略会議のシナリオを次のように定式化しました。
(1) 第一幕 「経済再生戦略⇒財政危機⇒消費税増税」
(2) 第二幕 「バブル清算+構造改革⇒日本経済のスクラップ∩ビルド⇒新護送船団型企業
支援⇒新たな政官財癒着の構造」
(3) 第三幕 「バブル清算+構造改革⇒日本経済のスクラップ∩ビルド⇒スクラップ部門の
大量失業⇒生活・就業の不安の高まり」
(4) 第四幕 「平等社会⇒競争社会への転換」(20)
結局のところ、プライマリー・バランス論は、消費税率の大幅引き上げや社会保障構造改革の名による福祉削減に活用されることが明白です。 さらに、仮にプライマリー・バランス均衡を一時的に実現したとしても、現在の異常な低金利がいつまでも続く保障はなく、金利の急上昇等によって国債費が増嵩する可能性も高く、公共事業の抜本的な見直しを伴わなわなければ、国民生活への犠牲を強要する手段としてだけの役割を果たすでしょう。補論2…公共事業とは何か−そして何を問題にしているのか(異論・公共事業)
ここまでの議論で、国家財政、地方財政危機の原因として「公共事業」の問題を指摘してきました。しかし、「公共事業」とはなにか、「公共事業」の何を問題にするのかについては意外と整理された議論がないのが現状です。
そこで、ごく簡単に、どうい視点から公共事業の問題を取り上げるのかについて検討をしておきます。色々ある類似語
まず、「公共事業」という言葉と類似の用語がたくさんあり、その意味もそれぞれ多少異なります。『地方財政小辞典』(四訂、ぎょうせい、平成10年6月)によれば、公共事業とは「国または地方公共団体が実施する公共的な建設及び復旧事業で、地方公共団体が実施する場合は国の負担金または補助金の交付を受けて行うものをいう」となっています。
政府が公的に使用する用語でも、予算編成上の「公共事業費」、自治省の統計にある「行政投資」、国民経済計算における「公的固定資本形成」、更には長期計画などに現れる"公共投資"などがあります。
本書の財政分析で使用する統計は、自治省の『行政投資』と国民経済計算の『公的固定資本形成』が中心ですが、ここでは、財政法や地方財政法上で「建設公債」発行の対象となる「公共事業」について検討します。もちろん、この「公共事業」は『行政投資』や『公的固定資本形成』の中身になります。健全財政主義原則と公共事業
財政法4条1項は「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以って、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる」と規定しています。
この規定は、無謀な公債発行によって戦争を行い、国民生活に重大な損害を与えた戦前の教訓を踏まえ、憲法9条の戦争の放棄、憲法の平和原則を財政サイドから保障するものとされてきました。また、例外的に公債を発行する場合でも4条2項にあるように「償還の計画を国会に提出」することや、3項「公共事業の範囲については、毎会計年度、国会の議決を経なければならない」としているのです。
(1) 公債発行は公共事業、出資金、貸付金に限定していること。
(2) 国会の議決を経ること、事業の範囲についてもその都度議決を行い、償還計画を提出すること。
という限定が付されているわけです。しかも、5条では、「すべて、公債発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない」としているように、インフレの防止を強く意識した規定が付加されています。
以上のように、財政法は歳出を公債、借入金以外の歳入をもって財源とすることを「原則」としていることが理解できます。同時に、例外として公債発行の対象とされている「公共事業」についても、その金額の範囲や事業対象についても国会の議決を必要とし、しかも「償還計画を提出することを義務づけているのです。即ち、借入金や貸付金のように、回収を自明のこととする規定と並列で「公共事業」を規定している「担保」として、「償還計画」を義務付けていると解釈することができるのです。歯止めのない「公共事業」への公債の投入
以上のように、法的には一応は健全財政主義の建前があり、公共事業についても一定の歯止めがかけられていたことは確かでしょう。しかし、実際には、1965年に戦後初めて公債発行が行われた時点で、「公共事業」を公債でファインナンスする基準が新たに確立され、歯止めのなく「公共事業」に公債が投入されていく前例が築かれたのです。(21)
坂野光俊氏によれば、1965年10月に大蔵省が財政制度審議会に提出した資料『公共事業の範囲の考え方』では、
(1) 狭義の生産公債=公債金で経営する事業がその収益で元利を償還する事業投資の財源を調達するもの(鉄道、通信)
(2) 抗議の生産公債=一般的には生産を助ける事業投資の財源を調達するもの(道路、港湾)
のように「生産公債」と「非生産公債」が区別され、(1)は国庫的視角であるのに対し、(2)は国民経済的視角であるとされていました。
つまり、ここでは、収益があがり投資が回収できる「公共事業」(この部分が、財政法4条を無理なく読んだ場合の公共事業に該当するとみてもよいでしょう)と、外部経済的な機能(22)を持つ資本が機能するための、基礎的な条件整備や税源の涵養を目指す投資に区別されて議論されているわけです。
ところが、実際には、福田大蔵大臣(当時)の国会答弁のように「資産としてあとに残る」もの「あとに残る国民の資産」であることが条件とされていったのです。ここから、坂野氏は「かくして、公共事業が公債発行対象となりうる根拠は、収益性・自償性という条件を備える必要がないばかりか、『生産を助長し、国民経済の発展を促し、税源を涵養する投資』であるかどうかの条件も問題にする必要もなく、『耐用年数が長期にわたる』耐久的施設・資産であればよいことになり、財政法第4条の理解として、建設公債の原則という通説的理解が定着することとなった」(P61)と整理されているのです。そして「こうなると、歯止めとしての意義は、精々、経常費には充当しないという意味しかなく、税財源の制約を離れて公共事業を公債発行で賄うという図式にな」り「建設公債原則は歯止めの実質的意味はなくな」るが「公債依存度や公債費比率という、地方自治体には適用されている基準は設けられていない。こうして実質は赤字公債であるものが、それとは本質的に異なる生産的公債、健全な公債であるかの如く建設公債とされた」ということになります。
さらに、公債発行の対象に問題のある「経費」が含まれていることも指摘されています。詳細を省いて列記すると以下のようなものです。(23)
(1) 施設建設に伴う旅費や庁費が施設費に一括されている
(2) 公共事業プランのための調査費
(3) 災害復旧費や維持補修費
(4) 施設建設に伴う移転補償費
(5)「・・事業工事諸費」に人件費、物件費等が公債発行対象にされている(建設公債原則適用の曖昧さをしめすものとして)問題の多い償還制度
簡単に検討してきたように、公債発行対象の公共事業の範囲について、多くの問題があるわけですが、健全財政主義の最後の「トリデ」としての償還制度についても看過し得ない問題があります。
それは、公債発行対象を「耐用年数が長期にわたる」資産に無原則的に拡張したことと関連をしますが、建設公債を60年償還としたことです。この「根拠」は、土地などの永久資産の耐用年数を100年として、構築物の耐用年数を50年として「平均」を60年としたものです。実際には、20年から30年で物理的にも社会的にも「磨耗」するとみるのが常識でしょう。こう考えると、現在の事業の負担を60年後の後世代に負わせることの是非が問われると思われます。
また、長期償還によって償還金額が相対的に少なくなり「負担感」が減少することによって結果として公債の累積を招くという問題も無視しえません。
岩波一寛氏が指摘しているように、公共事業の財源を税金と公債で比較すると、確かに「最初の10年間は、毎年度10兆円の公共事業を実施しながら、1年ごとの実質財政(税)負担は、毎年度5000億円ずつ増加する利子負担だけで済む。この財政負担先送りが10年間続く。…しかし、10年経過以降は一転する。公債累積100兆円の毎年度元利償還額が15兆円となって帰着するからである。従って、10年目以降は、毎年度10兆円の公共事業を続行しながら、公共事業費の実質的な負担である公債元利償還額は、その1.5倍になる。高価な公共事業費の時期を迎えることになってしまうのである。」(24)ということになります。
さらに、特例公債(いわゆる赤字国債)が1975年度から発行されるに至りますが、その償還についても建設公債と同様に60年とされるに及び、建設公債と赤字公債の実質的な区別すらなくなってしまったと言ってよいでしょう。
ここでは、単なる財政危機という範疇の問題ではなく、財政民主主義の危機を論ずる必要があることを指摘しておきたいと思います。地方債の発行と財政健全主義
では、地方自治体が発行する地方債についてはどうでしょうか。国家財政の場合は、これまで見たように、一般会計レベルの話しではありますが、一応1960年代半ばまでは国債を発行しない状態が続いたわけですが、地方財政の場合「地方財政法制定以来一度も健全財政主義は守られたことがないことに注目しておきたい」(25)のです。
その理由の一つとして、地方財政法第5条の地方債制限の「杜撰さ」が指摘されることがあります。第5条は「地方公共団体の歳出は、地方債以外の歳入をもって、その財源としなければならない。」としつつ「但し、左に掲げる場合においては、地方債をもってその財源とすることができる」として、次の5項目を掲げています(要旨)。
(1) 交通事業、ガス事業、水道事業その他地方公共団体の行う企業(以下公営企業という)に擁する経費の財源をする場合
(2) 出資金及び貸付金の財源とする場合
(3) 地方債の借換のために要する経費の財源とする場合
(4) 災害応急事業費、災害復旧事業費及び災害救助事業費の財源とする場合
(5)普通税の税率が標準税率以上である地方公共団体において、戦災復旧事業費及び学校その他の文教施設、保育所その他の厚生施設、消防施設、道路、河川、港湾その他の土木施設等の公共施設又は公用施設の建設事業費並びに公共用若しくは公用に供する土地又はその代替地としてあらかじめ取得する土地の購入費の財源とする場合
といった状況で、(5)に及んではまさに「なんでもあり」というものになっています。
また、この他に特例法により地方債の発行が認められる場合があります。地方財政再建促進特別措置法に基づく財政再建債・退職手当債、地方財政法附則による市町村民税減税補てん債、災害対策基本法による激甚災害による歳入欠陥等債、その他にも過疎対策事業債、辺地債策事業債、公害対策事業債などがそれです。
これだけ地方債の発行対象があるのですから、その運営には二重、三重のチェックが必要であることは誰の目にも明らかですが、実際には、国と都道府県による地方債発行の許可制度と国による「地方債許可方針」があるのみという状況になっていました。
石原信雄『地方財政法逐条解説』(ぎょうせい、昭和51年)における5条の解説をみますと、地方債を起こした場合、慎重な検討を加えるべき基本事項として(26)
(1) 本条の趣旨からみて真の適債事業であるかどうか
(2) 地方税その他の一般財源によって実施することができないかどうか
(3) 元利償還金が当該団体にとっての義務的経費として将来の歳出予算を拘束することになることにより、その償還費が後年度の財政運営の健全性を損なうようなこととならないかどうか
をあげています。しかし、このような「慎重な検討」の必要性についても国の「地方債許可方針」によって「担保」されることになるわけで、地方財政計画の中に組み込まれたものとして扱われることになります。
このように見てくると、今日の地方債累積債務の増大は、地方財政法の規定の杜撰さを利用した国の地方統制の結果(つまり、国の政策的なスタンスの結果)であり、中央集権的な地方財政制度と国優先の地方財政政策によるものということが理解できます。
現在の公共事業の問題点は「効率性と透明性」なのか?
借金によって公共事業を推進してきたことが、日本の膨大な累積債務の最大の原因であることは、すでに誰の目にも明らかですが、最近では財界サイドからも公共事業を「無駄」と規定し、その見直しをめざす提言が出てきています。例えば、経済同友会は98年6月の『公共事業改革の本質 ―既得権益構造の打破―』において「公共事業は、省庁間の配分の硬直性を挙げるまでもなく、公共事業に群れる関係者間の既得権益の集約であり、まさにわが国財政が歳出面で抱える構造的な問題の象徴である。もちろん、我々は公共事業そのものを否定するものではない。しかし、従来、公共事業は『国土の均衡ある発展』の政治的美名のもとに、関係者の権益を温存しつつ、景気対策や地方振興策の手段として安易に用いられてきた。その結果、公共事業が壮大な無駄を生み、公共事業に甘える経済・社会構造を醸成してきたことは、つとに明らかである。」であると述べています。
そして、「全体の規模を縮小するとともに、配分の仕組みを見直し、効率を追求することを改革の基本的な方向とすることである。その際、事業の決定・執行プロセスや整備後の利用状況など、あらゆる情報を国民に公開するなかで、透明性を確保することが肝要」として次のような「改革案」を提起しています。
(1) 建設国債と赤字国債の区分を撤廃する
(2) 公共事業関係の長期計画を廃止する
(3) 特定財源を廃止する
(4) 入札制度と官公需法を見直す
(5)公共事業の担い手を中央から地方へと変える
そして、最後に「この膨大な既得権益の恩恵にあずかる層の抵抗を排除し、政治や行政の体質を根底から改めない限り、公共事業の抜本的な改革は不可能である。」と述べるなど、かなりの熱の入れようです。
この提言は、経団連『政策提言公共事業の投資効率向上へ向けて−都市基盤整備の重点化と効率化』(21世紀政策研究所、1998年 7月27日)が「透明性、説得性の高い公共事業を執行すること、さらには投資効率の高い公共事業の迅速な実行例として東京・大阪における幹線道路整備計画の早期実現に向けた枠組みを例に、大都市圏投資の必要性を提案する。」としていることと比べても一定の積極性を持っていることは事実でしょう。
経団連のように、重厚長大の産業を含め財界を束ねる団体が、公共事業を「無駄の象徴」として批判することは不可能でしょうが、日本資本主義がアジアを中心として多国籍化している現状において、これらの資本からみると、国内の支配基盤を確保するためとしか言いようのない公共事業は、「既得権益」であり自らの活動にとって「無駄」であるという批判が出てくることは理解できます。この辺が経団連と経済同友会の見解の違いの背景にあるものだと言えるでしょう。
さて、肝心の政府サイドですが、建設省『建設白書』(98年度版)などを見ると、「効率性に関するものと透明性に関するもの」が公共事業批判の本質であるとしています。この点では、経団連や経済同友会の提言とも一致をしています。
しかし、本当に、日本の累積債務を膨大なものとした公共事業の問題が「効率性と透明性」に収斂されるのでしょうか。経団連は、この問題について具体的につぎのような指摘をしています。
(1) 国民に対し説明可能なものであること
(2) 社会的便益が社会的費用を上回るものであること
(3) 優先すべき投資プロジェクトを重点的に行うこと
この経団連の「重点化」「効率化」提言にせよ、経済同友会の「規模の縮小」を前提とした「効率性」「透明性」提言にせよ、これまで検討してきた「公共事業の範囲」「公債による財源確保の是非」という最も本質的な公共事業をめぐる問題に正面から応えようとするものではありません。経済同友会のいう「建設国債と赤字国債の区分を撤廃する」という提言も、確かに現時点でその区別がなくなっていることは既に述べた通りですが、今後の政策としては、逆に建設国債の意味を明確化し、赤字国債については特例法に基づく安易な発行を厳しく禁止する必要があるのです。
経団連のいう「国民に説明可能」「社会的便益が社会的費用を上回る」などいう曖昧な内容で垂れ流し状態の公共事業を継続することは、許されないでしょう。そもそも、投下資本の回収が不可能であることが予め想定されるような事業において、費用・便益などの議論が成立するハズもなく、公共事業の「政策評価」なども体重を物差しで計る体のものとならざるを得ません。ここで、これまでの経団連や経済同友会、政府などの見解に対して、基本的なオルタナティブを提起しておきます。
(1) 耐久的な資産であれば公共事業であるというような曖昧さを排し、公共事業の範囲について厳密にすること
(2) 公債発行の対象となる公共事業の範囲について、収益確保を前提とし、償還が確実なものに限定すること(「政策評価」の前段として「財政責任」の明確化と「自償性」の担保)
(3) 公共事業を媒介とした政官財の癒着構造を解体するために、団体の政治献金を禁止し、計画等の情報公開、談合の禁止の徹底・入札制度の改革、住民参加による事業の評価制度の確立
(4) いかなる公共事業も環境保全を優先させ、国民生活の向上と合致する限りにおいて実施計画を策定すること
(5)国が地方自治体を景気対策機構の一環として、公共事業に動員するような「地方支配」を止め、地域の自主性と自己決定が保障される政府間財政関係に改めること(特定財源の廃止は必要でしょう)公共事業は縮小してゆくのか?
今回の「地方分権一括法」の成立によって、2005年度以降は地方債発行許可制度は廃止され、協議制度に変更されることになりました。この意味では、国の地方に対する統制が緩和され地方自治体の「自主性」がある程度拡大することは事実でしょう。しかし、政府と「同意のある地方債については、政府資金等公的資金の充当、元利償還金について地方財政計画において、地方交付税の基準財政需要額に算入する」など「優遇」されますが、同意がない場合は、地方議会に報告の上発行するということになり、事実上厳しいハードルがあります。
重要なことは、今回の地方財政法改正では、公共事業の範囲その他は見直されておらず、長期的にみると起債の自由化によって、「市場」による自治体の選別が強まるということになるでしょう。近年、自治体の「格付け」が行われているのも、そういう方向に合致しているとみて間違いありません。
さらに、重要なことは、公共事業の範囲の曖昧さを温存したままでの、事業の民営化が進められている問題です。99年7月に「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律」(俗称PFI促進法)が成立しました。
PFI(Private Finance Initiative)は、第一に、民間主導により事業の「効率性」を確保し、第二に、公財政に代わって民間資本を活用することによって財政硬直化要因を減少させ、第三に、民間へのリスク移転を図れるなど「いい事づくめ」のメリット論が展開されてきました。しかし、公共事業漬けの日本の現状でPFI促進法を実施に移すことは多くの問題をもたらすでしょう。
第一は、公共事業の範囲を余りにも拡大して、無節操な事業拡大に突き進む恐れが強いことです。PFI促進法第2条は、この法律における「公共施設等」の定義を行っていますが、これは地方財政法5条の地方債発行が許される範囲よりも更に広く、その上「前号に掲げる施設に準ずる施設として政令で定めるもの」として、その範囲を政府に白紙委任することになっています。
第二は、効率性の確保を旗印にしていますが、民間の発案による事業などは利潤の確保を前提にして組み立てられますので、「民間に利潤」を保障することが事業の大前提になります。もし、事業によって収益が生じ、投資が回収されることが明確なら、「建設国債」対象の公共事業として国が責任をもてばよいわけで、民間に利潤を保障する必要は全くありません。
第三は、上記と関係をしますが、PFI事業に対する利用者(国民)の負担が増大するという問題があります。公共施設等をこれによって建設した場合は、特に問題が大きくなると思います。日本の公共工事のコストは、算定の仕方によっては必ずしもアメリカなどより高いということもないということですが、「談合」など不透明な違法行為をどう廃絶するかなどの課題も残されています。
第四は、結局リスク負担を国や自治体が行わない限り、民間が事業を実施することにはならない可能性が強いということです。これでは、公共事業の「民営化」ではなく、民間事業のリスクヘッジを国や自治体などが背負うということであり、民間分野への不必要な公的関与であるという「逆説」が成立するでしょう。
このように、公共事業を取り巻く状況は、国や自治体の「市場化」という「美名」のもとに、民間が行うべき分野、「市場」に対する国や自治体の「リスクヘッジ」を無制限に拡大していくことを示しています。
第3セクターの累積赤字が自治体の財政危機を助長しているのを見るにつけ、自治体が行った事業での赤字でなく、自治体が行わなかった事業の赤字によって、住民負担が増大する構図は、21世紀に向けて根本的な見直しを迫られているといわざるを得ません。 (おわり)
- [脚注]
- (1)一般政府とは、図の注に書いてあるように、中央政府と地方政府(自治体)と社会保障基金の3つの「政府」を指します。
- (2)石弘光監修『財政構造白書』(東洋経済新報社、96年10月)。「財政構造改革を考える」の副題は「明るい未来を子どもたちに」というもので、これは、95年10月、アメリカのクリントン大統領の演説の一節「子供たちに借金を残さないためにも、また、未来を築くための資金を十分に確保するためにも財政赤字をゼロにしなければならない」から示唆を得たものとされています。しかし、日本政府の「物まね」にもかかわらず、その後も財政赤字を拡大しているのが現状です。
- (3)以上の「要約」は大蔵省ホームページ「財政構造改革への取組み」を参照した。
- (4)その後の森内閣は小渕内閣を継承し、財政再建については「神の国」どころか「神だのみ」という無責任な政策となりました
- (5)所得倍増計画(池田内閣)以降における経済主義的な政治の再編については、渡辺治『「豊かな社会」日本の構造』(労働旬報社、90年4月)などを参照してください。所得倍増計画の「画期性」については経済学、財政学の分野においては、社会資本についての研究という形で注目をされてきました。この点については、島恭彦「所得倍増計画と公共投資」『地域論』(島恭彦著作集第4巻、有斐閣、1983年)が先駆的な業績として知られています。
- (6)"行きづまり論"は、89年の消費税導入後の社会党大躍進や宮沢内閣における小選挙区制導入の失敗、PKOへの派遣失敗などを、政治的な根拠としていましたが、日本の民主的な変革への「客観情勢の成熟」を念頭においていました。その意味では、その後の細川連立内閣の成立、小選挙区制導入などの一連の政治的な事態は、政治の新たな再編という意味を持っており、2大政党政治への志向や90年代に新しい政治再編の方向として注目されてきた「地方分権」論などとともに、90年代から21世紀への動向として、より緻密に分析される必要があるでしょう。
- (7)ドイツは連邦国家で、「州」の財政赤字を地方政府に含めるので、日本とは厳密には比較できません。
- (8)この辺はマスグレイブ夫妻『財政学―理論・制度・政治―』I〜III(木下和夫監修、大阪大学財政研究会訳、有斐閣、1983年〜4年)を参照のこと。
- (9)財政制度審議会財政構造改革特別部会最終報告(96年)は、「わが国は高度成長期の昭和30年代から40年代にかけて、欧米並みの社会保障制度を導入し、このために財政は高齢化に伴って歳出が大きく拡大する構造が組み込まれた」として財政危機の主犯=社会保障説を強調しました。これに対し、岩波一寛氏は国民経済計算等を利用して、明確な数字で公共事業が財政危機の主要な原因であることを示しました。
岩波一寛「財政破綻と公共事業」『経済』97年3月号、同「財政赤字と政府債務累積の財政構造」『日本の財政改革』(新日本出版、1998年、所収)などを参照のこと。
- (10)池上惇「財政危機」『経済学辞典』(大月書店、1979年)344ページ。
- (11)本間義人『土木国家の思想』(日本経済評論社、96年9月)などを参照。なお、本間氏は、"土木国家"を政官財癒着構造の形成の結果としてみていますが、「戦時・40年体制」にその起源を求める野口悠雄氏等の見解を退け、公共事業を国家経営ないし都市経営の最重点課題として施策を展開した、わが国近代化のスタートまで遡ると主張しています。筆者は、現代日本の国家を特徴づける概念としての「土木国家」を肯定しているわけではありません。戦後の公共事業を中心とした国土計画の推移については、下河辺淳『戦後国土計画への証言』(日本経済評論社、94年3月)NIRA『戦後国土政策の検証』(上、下、NIRA、96年)を参照。実は、同じ公共事業といっても、その性格を吟味しなければならないのですが、失業対策事業にその焦点を当てて公共事業を分析した労作として加瀬和俊『戦前日本の失業対策』(日本経済評論社、98年2月)があります。
- (12)経済企画庁総合計画局編『日本の社会資本―21世紀のストック』(東洋経済新報社、98年、82ページ)を参照。この『日本の社会資本』は1967年に刊行されてから、今回で3回目になりますが、大変に面白い内容を含んでいます。1993年の社会資本ストックの総額は617兆円(90年の価格で)、1965年に比べると実に10倍になっていることや、現在の公共事業は(1)投資費用に見合った効果が得られていない、(2)建設コストが高く効率性が低い(3)内容がわかりにくく、事業決定過程が不透明である、などの批判があり、その効率的・効果的実施(やはり、実施を強調するのですが―筆者)の必要性を述べています。
- (13)例えば、五十嵐敬喜・小川明雄『公共事業をどうするか』(岩波書店、97年3月)、同『図解公共事業のしくみ』(東洋経済新報社、99年6月)など。これらは、現代日本の無駄で浪費的な公共事業の「摘発」としては非常に優れたものであり、筆者も大いに参考にさせてもらいましたが、「土木国家か福祉国家か」という選択肢を、国家のあり方の焦点して打ち出されると、それは、筆者流にいうと「階級闘争の焦点」ではないと言わざるをえません。
- (14)最近では、財源不足の補填策として赤字国債の発行が4条債(建設国債)の発行を上回る事態が生じています。「地域振興券」や減税まで赤字国債でファイナンスされている事態は深刻であり、公共事業の削減のみが財政再建の課題ではないということです。
- (15)渡辺治『企業支配と国家』(青木書店、1991年9月)55ページ。なお、渡辺氏が「権威的」という用語を使用しているのは、「企業の支配が、労働者の側からは、通例、企業の権威とその掲げる目標の受容という、自発的服従という形であらわれている」ことを背景としています。戦後日本の支配構造の変遷については、同『現代日本の支配構造分析』(花伝社、1988年)を参照してください。
- (16)90年代の企業社会の再編については、渡辺治『現代日本の帝国主義化―形成と構造』(大月書店、講座現代日本1、96年11月)をはじめ、同『日本はどういう国かどこへ向かって行くのか』(教育史料出版会、98年11月)同『企業社会・日本はどこへ行くのか』(教育史料出版会、99年7月)を参照してください。なお、「日本的経営」については労働運動総合研究所編『「日本的経営」の変遷と労資関係』(新日本出版、98年3月)を参照。"日本的経営"と企業社会との関係が鮮明でない部分がありますが、各論としては労作といえます。
- (17)政府の言い分は、国税と地方税を合計した水準で国際比較をすべきというものです。このような考え方からは、地方分権に基づいて地方ごとに多様な税のあり方を志向するというような方向は出てきません。
また、地方住民税や事業税等がある国は国際的にみても少なく、その意味からも住民税と所得税の合計を国際的に比較する根拠はありません。なお、最高税率はアメリカ39.6%、イギリス40%、ドイツ51%、フランス54%などとなっています。
- (18)「労働移動に対する制度的中立性の確保」と説明されていますが、要するに個人年金化して、ある企業を「首になっても」次の企業に持って行けるような年金制度。
- (19)竹中平蔵『経世済民』(ダイヤモンド社、99年3月)。
- (20)経済戦略会議答申『日本経済再生への戦略』(99年2月)は「健全で創造的な競争社会」の構築とセーフティネットの整備」として、競争に落ちこぼれた人に対し「個人の転職能力を高め雇用の安心を確保する労働市場改革や事後チェック社会に相応しい司法制度の改革、さらには年金・医療・介護等、持続可能で安心できる社会保障システムの構築によって、すべての国民にセーフティネットを提供する必要がある」と述べています。年金・医療をはじめ社会保障にターゲットを絞りつつ、「セーフティネット」とはトンダ御託宜です。
- (21)この辺の記述は、坂野光俊「公共事業費の膨張と政府債務の累増―建設公債原則に基づく財政運営の帰結」『立命館経済学』(第45巻、第6号、1997年2月)に基づいています。ここでは、「建設公債原則は、財政法4条の理解と関わるものであるが、財政法が制定された昭和22年に確立したものとは必ずしも言えず、昭和40年の一般会計長期公債発行時に実践的運用原則として確立されたものと理解できる」(P60)としています。また、続けて「1963年春の衆議院予算委員会で当時の池田首相が『公債発行を罪悪視するのは間違いである』と述べて以来、公債発行活用論が強まり、1965年に入って景気停滞傾向が意識されるにつれて、その論調が強まった」としています。
- (22)とりあえず、生産に対して「間接的」機能を果たすものと理解をしておいてください。
- (23)坂野、同前p67
- (24)岩波一寛「地方財政危機と公信用」『現代財政危機と公信用』(中央大学出版部、2000年3月31日)P35。
- (25)岩波一寛、同前P30.
- (26)石原信雄『地方財政法逐条解説』(ぎょうせい、昭和51年)P53〜4を参照。
- (27) 「 PFI促進法」の具体的な問題については、ここでふれることはできませんが、建設政策研究所・公共事業問題プロジェクト編『「日本版PFI」を問う』(自治体研究社、2000年4月)などを参照してください。
- (28) 金本良嗣編『日本の建設事業』(日本経済新聞社、99年7月)P219以下を参照。なお、この著作は日本の建設事業について多方面から分析、検討を加えており、筆者とはその視点が異なるものの、労作であると思います。一読をおすすめします。