![]() |
HOME >> Information Service >> No.64-1 |
|
|
|
|
|
![]() 【No.64/2006.04.13】 岩国市・米軍艦載機移転問題の住民投票をどう考えるか 上田道明
(仏教大学社会学部)
インタビューアー:行方久生―研究機構主任研究員
このインタビューは、岩国市における米軍艦載機移転をめぐる住民投票(3月12日)の結果を受けて、3月25日に行われたものです。お読みなればわかると思いますが、住民投票の結果の分析にとどまらず、住民投票そのものの弱点や問題点、時期的な問題(3月20日に岩国市は周辺の町村と合併して、4月23日に市長選挙)、市長選挙の争点との関係、今後の米軍基地再編問題への影響、地方自治における住民投票の位置など、極めて多方面に及んでいます。是非、今後の運動や政策の彫琢にむけ、参考にしていただければと思います。
行方
3月12日に岩国市で米軍艦載機増強問題に関する住民投票が行われました。岩国市の場合、市長の発議で行われる「常設型住民投票」ですが、市長と議会の関係が複雑だったことをはじめ、投票率が50%に満たない場合は開票しないという条項もあり、その影響の大きさ以外にも、様々な面から全国の注目を集めたと思います。
地元の住民投票批判勢力だけではなく、政府・自民党なども住民投票に対する批判的立場をとる中で、58%を超える投票率、投票者の87%が反対という結果でした。これは、有権者総数の51%ということでした。 今回の住民投票は、これまでの日本における住民投票の中でも様々な意味で注目すべき内容をもっていたと思います。今後、米軍再編が最終的に合意をされていく中で、全国的に大きな影響を与えると思います。 そこで今日は、住民投票問題の専門家である上田さんに、今回の住民投票を全体としてどう考えるか、原理論に立ち返ってお話頂きたいと思います。まず、事実経過からお願いいたします。 事実経過と投票批判の声
1.2005年6月に、市議会で「移駐反対決議」
上田
米軍再編にともない、米海軍厚木基地から米海兵隊岩国基地に米空母艦載機部隊が移駐されるという噂は以前からありました。これに対して、岩国市議会は昨年6月に反対を決議、周辺自治体でも前後して反対決議をしています。市民団体も自治会を中心に6万人分の移駐反対署名を集めました。ところが、昨年の10月29日に、日米両政府が「再編案中間報告」に合意をして、艦載機57機を岩国へ移駐をするという内容が盛り込まれました。
そこで、市長も市議会も反対の意思を明らかにするわけですが、年が明けてからは、風向きが変わりました。今年の1月20日、岩国市議会からの依頼を受けた防衛庁職員が市議会全員協議会で説明をし、中間報告について「修正はない」と発言しています。これを潮目に、議員それぞれは「基本的に受け入れ反対というスタンスは崩していない」としつつも、一方で市議会議長を中心に「いつまでも反対と言っていても、らちが明かない、次の段階を考えるべきだ」との声が出はじめたわけです。「次の段階」とは何かを明確には語っていませんが、「条件闘争に転じるべきだ」ということです。こういった状況になり、住民のなかからは「議会は、本当に反対を貫いてくれるのかどうか」と不安視する声が出ていました。 2.市議会のトーン変化のもと、市長は「住民投票」を発議
市議会のトーンが変わってきたことに対して、市長が、「白紙撤回を求める自分の方針と、議会のなかから出ている声に違いがある。それならば」ということで、岩国市は常設型の住民投票条例を備えていて、市長の発議でできることになっていたので、2月2日に、市長が住民投票を決意します。 3.住民投票に対して、各方面から批判集中
これに対しては各方面からいろいろな批判が集まりました。たちまち2月3日に、足元の市議会の総定数28名のうち23名が属する4会派から、「自分たちも白紙撤回という点では変わっていない、発議を撤回してもらいたい」「賛成か反対かといえば、みんな反対に決まっている。そんな住民投票に2,500万も費用をかけてやる必要はない」といった申し入れがありました。岩国市は3月20日に周辺7町村と合併して新岩国市に生まれ変わり、市長選挙が近く(4月23日)行われるわけで、それをにらんだパフォーマンスではないかという批判もありました。 2月7日には、合併7町村の首長・議長から発議の「撤回を求める」決議書が提出されました。「もうすぐ自分たちは同じ自治体になるのに、自分たちに相談しないのはおかしい」という批判が出ました。 国も、「今回の再編は国策である、安全保障政策は政府の専管事項である」と批判しました。国は今回の投票を批判するコメントを東京から発信しましたが、現地には乗り込んでこなかったですね。その点、沖縄の名護市のときとは違いました。名護では防衛施設庁の職員が地元に対してかなり積極的に「説明」したという話は聞いていたのですが、私が見聞きした限りでは、岩国ではそれはなかったようです。 市議会からの反対、政府からの批判、合併する7町村からの批判については、あとでまた考えたいと思います。 4.投票率の「50%条項」を乗り越えて成功、移駐反対票も絶対多数に
そうした批判が市長包囲網のようなかたちでできるわけですが、市長はその発議を撤回することなく、住民投票を迎えることになります。合併の期日が3月20日であるため、日程は、3月5日告示、12日の投票とされました。この間、岩国市内では、市議会の「投票をやっても無駄である」あるいは「これは市長選挙を意識したパフォーマンスである」という批判に同調する経済人などを中心として、「ボイコット運動」をする組織も立ち上がりました。 そのボイコット運動が行われた分だけ焦点になったのが、投票率です。住民投票条例には、投票率50%未満の場合には「不成立」として「開票をしない」という条項が盛り込まれているので、ボイコット運動が広がりを見せれば不成立となって開票されない。その場合には、投票前に随分懸念されたことですが、「岩国市民はあまりこの問題に関心がないのではないのか」、あるいは「市長のパフォーマンスに対して市民が支持をしなかった」みたいなかたちで、私から言わせれば民意がどんなふうにゆがめて解釈されるか分からないところがありましたので、投票率は随分と懸念されたところでした。 ですが、結論として投票率は58%に達して、投票は成立、開票された結果反対票が圧倒的に多数、投票総数の87%に到達しています。 先程の話に戻りますが、名護の時と違って今回、国の側が、中央から批判することを除けば投票にほとんどコミットしてこなかったのは、一つはこの50%条項とボイコット運動のことを知っていたからだと考えられます。変に介入した結果、関心を惹起して投票率が上がることを気にしていたということではないでしょうか。 5.新岩国市長選挙へ
投票から1週間後には岩国市自体は新設合併で新岩国市に生まれ変わるわけです。3月19日には合併にともない市長は失職、住民投票条例自体も失効となりました。3月20日に新岩国市が誕生しました。 4月23日が恐らく市長選挙になると思います。今回の住民投票の今後の扱いは、この市長選挙の結果にかなりゆだねられる部分が出てきそうなのですが、その辺りはあとでお話します。事実経過はそういったところです。 50%条項と政府の思惑
1.現地での介入をしなった政府の思惑
行方
名護市の住民投票と違って、国が意識的に現地に介入しなかったというお話がありました。国会で竹中総務相が、国としてどういう立場で住民投票の結果を受け止めるのかと質問され、「国の専管事項ではあるけれども、住民の意思が示されたわけで、それはそれとして尊重すべきものである。そういうことを踏まえて対応していきたい」と述べています。名護市の米軍新基地建設問題についても、政府は米軍再編問題については修正できないという姿勢は崩さないわけですが【注】、総務相が「住民の意思は意思として尊重すべきだ」と述べざるを得なかったわけで、これは重要なことだと思います。
そこで、もう少し50%条項の問題と、政府が意識して関心が盛り上がらないように、できる限り事態を冷却するスタンスをとったというあたりについてお話をお願いします。中国新聞の記者も「50%いくかどうかがやはり最大の焦点で、周辺部で盛り上がらない場合に危ないのではないか」という観測をしていました。 【注】
名護市新基地建設に関わっては、「額賀福志郎防衛庁長官は7日、沖縄県名護市の島袋吉和市長と防衛庁で会談し、米軍普天間飛行場のキャンプ・シュワブ沿岸部への移設(沿岸案)について、滑走路を海側に1本増設し、2本の滑走路をV字形に配置する修正で合意した」ものの、稲嶺沖縄県知事の「反対」や地元の懸念が増大し、公約違反であるとの追及や反対集会も開催されています。事態は混迷の色を濃くし、市長の政治責任を問う方向は避けられないと思われます。
上田
まず総務大臣の発言です。投票結果が出たら、そういう答弁をせざるを得ないと思います。逆に言えば、そういうことを言いたくないからやらせたくないという思いもあったのではないでしょうか。
先程の繰り返しですが、50%条項があって、地元でボイコット運動が行われていることを知っているので、政府は名護の時と違って、これといって目立った動きは少なくとも地元ではしなかったのではないかと思います。ただ、それはあとでの論点にもなりますが、この投票全体に判断材料が不足しているという感は、正直私は否めないのですが、そのかなりの部分は政府の説明がなさ過ぎたことに原因があります。 2.意外に難しかった、ボイコットの呼びかけ
飛行ルートによってどの自治体のどの部分に騒音被害が新たに入るのか、また抜けているのかということは本来大切な問題ですが、それが明らかになっていない。市長の批判になりますが、自治体によっては国がこれという情報を流さないなかで独自に騒音調査をやっている所もあるわけです。一方で、岩国市はそういうことをやっているようでもない。岩国市もそうだし、国もそうだし、情報がなさ過ぎたのではないかと思います。 編集部にお届けした写真ですが、投票前日、住民投票反対派がボイコットの呼びかけをしている場面です。ギャラリーはタクシーの運転手2人だけでした。あとは新聞記者とテレビのクルーです。駅前で街宣をやるという情報をもらったので私も見に行ったのですが、拍子抜けでした。同じ話を2回繰り返されたのですが、それでも10分間も続きませんでしたしね。その演説をじかに聞いて面白かったのは、意外とボイコットの呼びかけって難しいのですね。呼びかけている人たちは、どちらかというと、平素は余計なことを言わずに、ただ「選挙に行ってくれ、(私の応援する人に)入れてくれ」としか呼びかけない人たちに私には見えました。そういう人たちが、そもそも今回の住民投票の内容を解説して、こういう理由だから投票に行かないほうがいいのだと説明するのには相当手間が掛かるようです。話を聞いた限りでは、ボイコット運動は広がりが難しいのだろうと思いました。思いのほか、「投票に行くな」という呼び掛けは難しいようです。 足を運んだ岩国市民に敬意−成功の背景
行方
ボイコット運動は、やればやるほど実質的に宣伝してしまうというジレンマがあります。森元首相ではないですが、「家で寝ていてくれ」という宣伝をするわけで、住民の意識が高まっているときはこっけいな役割を果たす可能性があるわけです。
○つけ運動も、日本の場合、公職選挙法のイメージが住民の中に非常に強いので、露骨に○をつけろという運動も住民の間では必ずしもストレートに歓迎されないという面もあるのではないかと思います。 投票率が50%を超えて成功した一番の推進力、特に国政選挙と絡めて投票日を設定するなどという手法を使っていないので、ある意味で正面突破の住民投票でしたが、これの成功の背景など現地でご覧になってきた印象をお願いします。 上田
住民投票の反対派は呼び掛け自体が難しい。市議会議員の大半は住民投票に消極的だったのですが、少なくとも記者さんたちに聞いてみた限りでは、組織を使って積極的にボイコットを呼び掛けてはいなかったようです。
ボイコットといえば、私は徳島市のケースを思い出すのですが、徳島の場合は可動堰を作るか作らないかが争点で、作る側からすれば建設業界を中心としたマシーンがありますので、これに乗っかるかたちでのボイコットはやりやすかったと思います。その点、今度の岩国の場合、結果的にそれほどボイコット運動が広がらなかったのは、そこと違うかと考えられます。 一方、「住民投票に行こう、反対に○をつけよう」という運動です。私は投票の前日の土曜日に岩国入りをしたのですが、運動は華やかでした。ギターの演奏入りで「投票に行こう」というオリジナルソングが駅前に響く、なんていうのもありました。ですけど、運動をやっている人は市外から来ている人がけっこう多かった。だから、本当に岩国ネイティブの人たちの投票に対する関心はなかなか外面からはうかがえなかったですね。 ただ、それまで全く政治にタッチしなかったような、いわば「普通の」人たちが、いても立ってもいられないということで運動をはじめたという例も聞きました。自発的にプラカードを作って、そこに「投票に行こう」と書いた。そのプラカード運動を指南した人は徳島の運動の経験者の方だったらしいです。何もしゃべらなくていいからプラカードを持って、道行く人に手を振ったらいいのだとアドバイスしたそうなのですが、どうもそれを守らずに、「投票に行きました?」みたいに道行く人に呼び掛けたらしいですね。そうすると、「あ、行きましたよ」みたいな感触がけっこうあったという話でした。 投票前の兆候としてはそれぐらいでして、表立って投票への関心はうかがえなかったのですが、実際ふたを開けてみれば、これだけの投票率になっていますし、静かな盛り上がりがあったのではないかと言えます。 行方
外部の人が華やかにやっていたという中に自治労連の応援部隊もいたわけですが(笑い)、これはこれで重要だと思います。今、主婦のプラカードの話を伺ったのですが、例えば憲法の「九条の会」などでも、駅で黙って看板を出して一日立っているとか、そういうものがけっこう効果があります。1カ月続き、2カ月続きという中で、パンフレットを買う人が出てきたり、署名をしたりと次のステップに行きます。普遍的に関心を高める手法として注目されています。
そういう自発的な運動が、いろいろなかたちであったのでしょうね。普段の投票率と比べて多少下がっているのではないかとは思いますが、一つの選択だけで60%近くいくのは、大変なことだと思います。 上田
投票率に関してはご指摘の通りで、去年の総選挙は投票率が70%ぐらいだったということです。市長選挙など通常選挙の投票率はそこそこの数字が出るところなので、それに比べると、58%というのは少ないですが、「これは国策なのだから地方は協力するべきだ」「逆らったら逆らった分だけ来るものも来なくなるんじゃないか」という意見が根強いなかでの投票でした。
だから、住民投票に関心のある者としては、不成立になるのが一番不幸な展開だと見ていました。その意味ではあきらめずに、といいますか、足を運んだ岩国市民には本当に敬意を表したいですね。 足を運ばせた原因−説明のない政府への怒り
足を運ばせた原因の一つには、国からの説明がなかったことが大きいのではないかと思います。市内で街頭演説を聞いていますと、「今ここで黙って受け入れたら、岩国は大人しいからと、今後も次々と負担を押しつけられかねない」と。実際、頭ごなしに押し付けてくる今の国のやり方ではこのような疑念も払拭できていません。説明をしていない、ということに対する怒りの投票があったと思います。 中国新聞の出口調査にあるように、これはあとで一つの焦点になりますが、今回の投票の意義を聞いたところ、3分の2が、「白紙撤回は難しいけれども住民としての意思表示は必要だ」と考えて投票していました。 合併予定7町村からの「批判」があたえた影響
行方
合併をすぐに控えていて、周辺の合併する首長や議会から批判をされたことは、投票行為にどういう影響を与えていましたか。
上田
一番センシティブだったのは基地周辺の、騒音被害や犯罪被害を直接受けている人たちだったと思います。同じ岩国市内でも基地から離れた山間部のほうに行くと、直接自分に累が及ぶわけではないという意味では、騒音も犯罪も他人事なのですね。岩国市域全体で投票すれば、そういった無関心な人たちが投票しないのではないか、あるいは振興策目当てに賛成票を入れるのではないか。これは名護でもあった声だと思いますが、実際にそういうことを言っている方もいました。
同じ岩国市域のなかですらそういう状況があるわけです。今回岩国市と合併する7町村は、由宇町という海沿いに隣り合った町は別として、残りの所は基本的に山間部で恐らく被害は生じないことが予想されます。そういった所の人たちが新たに投票に参加するとなると、その懸念をもっと増幅させることになるわけです。特に基地周辺の人からすれば、少なくとも現時点で、合併町村が自分たちにも意見させろ、投票させろということについては疑いの目があったのではないかと思います。 投票批判の検証その1−「市の権限外であり住民投票にはなじまない」
行方
お話を伺って、投票に至る経過、現地の雰囲気がわかるような気がします。少し具体的に中身に立ち入ってお話をいただきたいと思います。私が文章として本格的な批判を見たのは、読売新聞の社説でした。
ここでは、「市の実質的に決定権が及ばないものについては住民投票の対象からはずす」など、住民投票制度の条例にかかわって批判が行われていました。それにとどまらずに、「迷惑施設の有り様について、何が何でも反対というような、国といさかいを起こすだけのものについて自粛すべきだ」という論調だったと思います。 小泉首相はマスコミからのインタビューで問われて「計画を変えるつもりはない。現地の人たちが反対というのは安全保障政策の難しいところだ。うん。」というかたちで、いつものように自分でうなずいて答えていました。 住民投票に対して、どういう批判が行われたのか、批判の具体的中身の検証をお願いします。 上田
今回の住民投票は常設型を用いた点に特徴があります。常設型を使って行われた住民投票は、これまでも合併については何例かあったのですが、合併以外の争点で用いられたのは初めてです。そういった注目すべき点を持ちます。結論から言いますと、私自身は今回の投票に関しては教科書通りのものではない、批判すべき点もあると思います。ですが、今お話にあった批判に関しては疑問に思う点は少なくありません。
まず整理しますと、政府、それから読売新聞の名前が出ましたが、それらからは「争点が安全保障にかかわる、国策にかかわるものである、市の権限外のものである」ことについて批判がありました。また、周辺町村からは、「もうすぐ新岩国市が生まれるのに、いわば旧市域だけで投票を行うのはおかしい。1週間しか旧岩国市は残っていないわけでおかしい」という批判がありました。これが二つ目です。三つ目としては、市議会から賛成反対で投票すれば反対多数になることは分かりきっている、「市長のスタンドプレーだ」という批判がありました。私が整理するところでは投票に対する批判はこの3点でした。順番に考えていきたいと思います。 1.発言権がなく、忍従を強いられることの「不条理をアピール」
まず一番争点になったのは1点目の安全保障は国の専管事項であり、市の権限外である、住民投票の争点としてなじまないということでした。まず素朴に、岩国の住民投票の俎上に載ったのは安全保障体制や安全保障条約ではないわけです。岩国市民のだれ一人として安保に賛成か反対かという投票をした人はいません。争点は、基地のあり方が変わる、ということでした。その変化から生活に大きな影響を受けるのは、とりもなおさず岩国市民です。その岩国市民が、ステークホルダー(利害関係者)の一員として意思を表明することについては、何ら問題はないと思います。 もともと歴史を振り返ってみると、日本の住民投票は、96年の新潟県巻町の原子力発電所の建設を問う投票、沖縄県のアメリカ軍基地の整理縮小と日米地位協定の見直しを争点とした96年の投票からはじまっています。その後、市町村合併が多数行われたことをきっかけとして住民投票自体は数多く行われるようになりますが、合併を除けば、条例に基づく住民投票自体は、それほど数は多くなくて、岩国で17件目です。 その争点の半分以上がいわゆる迷惑施設を争点にしています。迷惑施設が争点になっていることが何を意味するかというと、産廃処分場にしても原子力発電所にしても、アメリカ軍基地にしても、地元に権限がないものばかりです。その権限が遠いところにある一方、直接の被害を受けるのは当然のことながら、施設の周辺の地元自治体です。ところが、その地元自治体に決定権はおろか、十分な発言権すら認められていない。 その発言権が制度的に担保されていないなかで、自分たちの声をデモクラティックに権限を持つ者に届けたいとして、それこそ制度化されているわけでもない住民投票がその意思表明の機会として選択されたという経緯があります。そういう地元に権限がないことを訴える投票として、これはいうならば日本の住民投票にあっては典型的なスタイルだと思います。 2.「権限がない」ことを理由に口を封じることが問題の解決に資するとは考えられない
そういった声が地元からあがることを、本来政府としては注視すべきであって、原発の時もそうでしたけれども、「それは国策である、地元自治体にそのような権限はない」と言って、自分たちが聞きたくないことを言わせないようにする、あるいはそういうアピールがなされても耳を閉じるという姿勢を取ることがこの種の問題の解決につながるのかというと、そうではないと思います。 地元に100%権限を認めろと言っているわけではありません。自分たちの声をじゅうぶんに聞いてもらいたい、そのうえで説明責任を果たしてもらいたいという訴えが地元からなされているわけです。その声を聞く、そのうえで説明責任を果たすという姿勢に転じない限り、この手の投票は何回でも求める声が出てくるのではないかと考えられます。だから、権限外だからといってものを言わせないという姿勢から転ずることが国には求められていると思います。 投票批判の検証その2−「合併が間近いのに、現市域だけで投票するのはおかしい」
2番目です。これは周辺の町村から出ていた異論です。さすが地元の出身だけあって、官房長官もこれによく乗っていましたね。合併が間近である。新岩国市がもうすぐ誕生するのに、現時点だけの市域だけ、旧市域だけで投票するのはおかしい。複数の町長から「やるんだったら、新市で住民投票を実施すべきだ、郡部の意見も反映させるべきだ」という声も出ていました。 1.3月末予定の国の「最終報告」までに、地域の意思を表明する必要があった
これに対して岩国市長の選択を私は支持したいと思います。市長の選択というのは、旧市域で投票を行ったことです。理由は二つあります。まず一つは、政府がスケジュールをはっきりさせていて、3月末に最終報告を出す。そうだとすれば、それに異論を唱える側はそれまでにアピールする必要があるわけですから、合併までは待っていられないという事情があったと思います。 2.アピールを目的とする投票であれば、旧市域で投票を行なうべき理由はあった
二つ目は、投票の性格として、岩国市の住民投票は確定的な最終的な民意を表出するという投票よりも、先程お話しした巻町や沖縄県の投票の系譜に属する、「アピールを目的とした投票」だと私は理解しています。そう考えたときに旧市域で行うべき理由もあります。 3.「投票エリア」の設定は、住民投票制度の論点の一つであり、難しい問題
少し話が長くなりますが、もともと住民投票制度をデザインするときに、どのエリアで投票を行うのか、というのはけっこう難しい論点を構成しています。ごく一地域の問題について広いエリアで投票を行えば、これは大勢の者が一部の人間に対して意見を押し付ける多数者の専制を起こしかねないところがあります。その反対として、逆にエリアを小さくすると地域エゴの手段になるという議論もあります。そういった事情から、難しい問題をはらんでいることが前提にあります。
社会学者の梶田孝道さんの議論を援用しますが、今から10年前、巻町の投票が行われたころに梶田さんが何をおっしゃっていたかといいますと、「受益圏と受苦圏」という言葉を使われました。迷惑施設にかかわる話でして、その施設から恩恵を受ける人たちの集合が「受益圏」であるのに対し、迷惑施設から直接に被害を受ける人たちもいるわけで、その集合が「受苦圏」です。その「受苦圏」と「受益圏」が重なり合えば、問題は比較的単純なものなのですが、重なるどころかズレが現れて、さらにそのズレが大きくなるのが現代社会の特徴と梶田さんは見ています。 ゴミ処理場もそうですし発電所もそうですが、それぞれの施設から広いエリアの人々がその恩恵を受ける一方、他方でそれらの施設から被害を受ける人たちは非常に限定されているわけです。 そのことをして梶田さんは、「受益圏と受苦圏の分離」、あるいは「受苦圏の局地化と受益圏の拡大」と表現します。そういうズレのなかで、受苦圏が広く受益圏全体に対して、「自分たちがこういうツケを回されている」と訴える、その限りにおいて巻町の投票は正当化されるというふうに、10年前ですが議論を展開されております。 私自身も岩国の投票はその性格を持った投票だと考えます。このズレに対して国がどういう対策をとってきたかというと、その見返りとして迷惑施設の地元にいろいろな交付金、補助金というかたちで振興策を提供するわけです。考えるべきは、この振興策自体もまた、受苦圏と受益圏の二つ目のズレを新たに作っていることです。振興策がやってくることによってその自治体のどこかが潤うかもしれない一方、受苦圏自体は変わるわけではありません。だから受苦圏からすれば、自分たちが苦労するおかげで、自治体の域内に恩恵だけを受け取る地域(振興策の「受益圏」)が生まれることにもなるわけです。振興策がこの二つ目のズレを作るところがあります。 4.旧市域での投票は現実的な選択
そのことを考えたときに旧市域で投票したほうがいいのか、それとも新市域で投票したほうがいいのか。理想を言えば、新市域だろうが旧市域だろうが、住民投票の有権者となった以上は、迷惑施設を受け入れることが何を意味するのかというところを「熟慮」して、そのうえで責任ある一票を投じることが一番望ましいところです。 しかし最終報告まで時間がないという状況の中で、新市域の人たちにどれだけ受苦圏のことを考えてもらえるかというと難しいと思います。 川下(かわしも)という基地に一番近接した地区があるのですが、その地区の自治会長が岩国市長が住民投票を発議した時にこう言っています。「被害の実情を知らん市民は賛成を投じる。住民投票はやめてほしい」と。実際にその側面はないわけではなく、「騒音じゃの、犯罪じゃの言っても、ここらには関係のない話」(中国新聞より、「南河内地区、無職68歳」)との声もあります。これはまさしく受苦圏と受益圏のズレを表現しています(もっとも、この人は住民投票では反対票を投じているのですが)。 時間がないなかで、新市域で投票したとすれば何が予想されるかといえば、先程もお話ししましたが、基本的に基地被害とは直接関係がない新岩国市民が誕生するわけで、その人たちの意識については図らずも合併町村の首長や議長が代弁しているところがあります。語るに落ちるとはこのことだと思うのですが、ある村長はこう言っています。「これまで対岸の火事と思っていた基地問題が、合併でわれわれの問題になる。岩国市だけで住民投票を行なうのは勝手すぎる」と。 「われわれの問題」とは言うけれど、直接その村に火の粉が飛んでくるわけじゃない。少なくとも基地の被害を受けている人のことを対岸の火事と受け取らない程度に、新岩国市民として一体感を持てたときに、そこで投票を行うことは意味があると思いますが、にわかにそれは望めないと思います。それが望めない段階で投票を行うことは、「われわれの問題」というのはもっぱら受益圏に自分たちが属することを意味するわけで、それは問題だと思います。 ある町の議長は正直な人でして、「岩国が騒音で苦しむのに、金の話をするのは歯切れが悪くなるが、リンクするのは否定できない」。良くも悪くも正直なところを吐露されているのだと思います。そういう振興策に絡むかたちで投票する動機が生じがちな新市域での投票は、結論ですが、私は現実的ではなかったと思います。それが2番目の批判に対する私の評価です。 投票批判の検証その3−「反対多数と分かっている投票はムダ」
3番目、主に市議会の中から出された批判です。「賛成か反対かを問えば反対多数に決まっている。そんな投票は無駄である」という批判も出ていました。実は私も、この主張にまったく理がないわけではないと思います。ただ結論としては、投票をやった意義はあったと考えています。というのは、市長だけではなくて、市議会も表向きは受け入れ反対というスタンスは崩していないとしています。ただ一方、防衛庁が「もう変更はない、修正はない」と説明したことをきっかけに、条件闘争を求める声が出ているのは事実です。そうすると、前の年の6月の決議は何だったのかと、特に白紙撤回を求める住民は思うわけです。 1.市民への説明のないままに「条件受け入れ」へ、市政が転換する可能性があった
市議会が特に市民への説明なしに、そのように態度をブレさせようとしているのであれば、これを統制する必要はあったと思います。もし説明なしにそういう方向へ転換したことが明確になれば、それこそリコール運動が起きたかもしれませんし、住民投票発議のための運動が起きたかもしれません。私はそちらのほうが展開としては分かりやすかったとは思いますが。 市議会の方針転換は、市民にとっては二重に説明のない状態になりかねないところがありました。そもそも国から移転についての説明がない。加えて二つ目に、議会からも説明がないままに態度変更が行われる。二重に説明がない状態とはこのことなのですが、もしそういうことになれば、市民としてこれを統制したいという動機が形成されることは当然だと思います。 2.反対多数の投票結果は、「民意を確認した」という意味で意味あるもの
結果、投票を行って反対多数、受け入れ反対の結果が出たということは、少なくとも市議会は方針転換しようとしていたことについて住民に十分説明できていなかった、ということを図らずも証明したわけです。また、民意をくみ取ることにも失敗していたわけです。説明なしの態度変更を統制し、そういう民意を確認したという意味で、投票は意味のあるものだったと考えます。 3.「議会軽視」と批判するのではなく、それを超えた高度な民意の集約で議会はがんばって欲しい
住民投票だけではないのですが、首長を中心として行政への住民参加が行われることに対してしばしば議会軽視という批判が寄せられることがありますが、議会軽視と批判するのではなくて、行政サイドを超越する、もっと高度な民意の集約みたいなところで議会には頑張ってほしいと思います。 岩国に関して言えば、市長は市民に少なくとも住民投票という形で諮ろうとしたわけです。理由は後で述べますが、私は今回のそのやり方が唯一の、またベストの手法とは思いません。しかし、説明なしに態度変更を図ろうとする議会と、ともかく市民に諮ろうとした市長とを比べるならば、私は市長を支持します。議会が、説得力を持って市長に対抗しようとするならば、市長や住民投票を批判するだけではだめです。市長以上に市民のなかに入っていき、投票結果以上に緻密に民意をくみとったり、また自分たちの考えを説明したり、その成果で行政に対抗するべきではないでしょうか。 以上、3点、岩国の投票に対する批判と、それに対する私の考え方をお話ししました。 |
|
|