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田中康夫長野県知事の落選

photo@ご存じのように、8月6日の長野県知事選挙で田中康夫氏は3選ならず、落選をした。当選は、自民県連・公明県本部・連合長野等の推薦による村井仁氏(69)である。投票率は65.98%(前回を7.8ポイント下回る)、得票数は田中氏534229に対し村井氏612725票である。その差は78000程度であるが、県内各地の、得票数をみると、県南や諏訪地方などで田中氏は善戦しているが、長野市や松本市という大票田でかなり村井氏に引き離されている。得票数や各地の動向からから見る限り一応「接戦」だったとみてよいだろう。

A今回の選挙の結果をどうみるべきかは、今後の議論を待つ必要があろう。現時点で言えることは、双方とも政党が前面にでない選挙であったといえる。もう少し、厳密にいうと、田中前知事の「人気」から見て、だれが出ても勝てないだろうという判断から、村井氏についても自民党の県連と中央の意見が一致せず、県連中心の選挙となった。小泉首相は、武部幹事長に「まちがっても応援に行くな」とのべたそうである。
 公明党の方は、例によってこのような自民党の「煮え切らない」姿勢を批判し、それなりに全県各地で「奮闘」したという。つまり、この票差は田中氏の人気の凋落をカウントしても、公明党の支援なしに達することができなかった結果といえる。今後の村井県政に、これがどういう影響を与えるのか注視する必要がある(つまり、自民党守旧派の利権政治復活の動向だけではなく、公明党も含めた利益誘導の状況。併せて、田中氏が廃止した同和予算などの動向)。

B選挙で田中氏が敗北した「直接」の原因は、民主党が推薦しなかったことであろう。出口調査でも民主党支持者では若干田中氏がリードしていたものの、村井氏に大差をつけている状況ではなかった。最終版で小沢一郎氏と田中氏の「旧来の関係」もあり、民主党の大物が支援をしたが、既に遅かったようである。
 共産党は、田中県政の積極的な側面を評価しつつも、高校の統廃合や一定の福祉施策の「カット」、県職員等とのパートナーシップの欠如等おいて支持できないことを指摘し(併せて、過日の総選挙において、新党日本の党首となったことなど)、独自候補は擁立せずに「自主投票」とした。実際には、議員レベルなどでかなり田中氏を応援し、最終版では「支援」を訴えたが(出口調査でも共産党支持者の田中氏への投票は圧倒的に多い)、田中氏のイメージダウンは避けられなかっただろう。
 また、これまで田中氏を支持してきた長野県金融界のトップである元八十二銀行頭取の茅野實氏が今回は田中氏支持を降り、村井氏を応援したり、県経営者協会長の安川英昭氏(セイコーエプソン)が村井氏の後援会長に就任するなど、経済界の動向も様変わりしていた。

Cこういった現実の政治力学の「背景」にある田中県政そのものを分析するということは、なかなか興味深い課題である。「脱ダム」宣言から始まって、議会では「守旧派」=長野県の公共事業における利益誘導政治に反対し、同和関連補助金の全廃や30人学級の実現など、確かに財政危機の下で積極的な行政展開があった事は事実である。同時に、その手法が「独断的」であり、議会やマスコミとの摩擦などを伴って、かつての支持者の多くが田中氏から離れていったことも事実である。
 職員の人事異動のやり方や、職員組合等との労使交渉のあり方なども内外に問題を投げかけた。そのほか、住民票異動問題、旧山口村の岐阜県への越境合併問題への対応などもあった。さらに、細かいことを言えば、編集子なども色々な事実を掴んではいるが、大まかには以上のような「構図」になると思われる。

D村井氏に候補者が一本化されたことで、今回の選挙は当初から「接戦」が予想されたが、やはり「田中氏の圧倒的な知名度」という「幻想」がそれぞれの組織の政治判断を狂わせた側面は否定できないだろう。実際には、知事としては全国最低の35%の支持率しかなかったこともあるが、「劣勢」や「攻撃」を「カテ」にして成長するような通常では考えられない能力を田中氏がもっていたこともあり、通常の政治判断が効かないというイメージもあった。おかしな言い方ではあるが、「打たれ強い」というより、「打たれて育つ」という、なにやらマゾ的・アブノーマルな雰囲気が漂っていた。
 こういったことも手伝って、今回の選挙は恐らく県民意識としては「どっちがよりよいか」ではなく「どちらがよりましか」という選択になったのではないだろうか。
 村井氏が「反田中」ではなく「超田中」だと選挙スローガンでのべ、「古い長野には戻らない」と述べていたのも、ある意味では、積極的な長野像を展開出来なかったと同時に、田中氏を批判することのデメリットを感じていたのであろう。
 田中陣営もボランティアはかつての数分の1になり、政党の応援もなく(最後は多少盛り上がったが)、地味な選挙になった。田中前知事といえば、無党派選挙、市民選挙の「元祖」のように言われるが、実態は先にふれたように、長野の経済界の支援を受けていたことは周知の事実である。
 合併しない市町村への県としての支援や「託老所」の設置など今後の動向が気になる施策も多かったが、この成り行きをみることが出来ないのは些か残念ではある。

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●田中氏は、恐らく本日、記者会見を行うと思うが、以上のような状況をどう説明することになるだろうか。場合によっては、主任研究員備忘録で追跡して見たい。注)タイトルを「田中康夫長野県知事の落選」としたのは、村井氏が田中県政に替る積極的な政策展開をして居なかったいこと、田中氏が「負けた」ことに今回の知事選挙の「政治的意義」があることからつけたものである。

(掲載:2006/08/07)